
自由が丘の駅から歩いて2分の好立地。真新しい店内は、さすがシサムさん、おしゃれにディスプレイされています。

最近のシサムさんは、とてもメンズに力を入れています。充実したメンズコーナー。

東京のシサムさんはvote for by sisamという店名で展開しています。その意味はこの写真の通り。フェアトレードの意味をよく表していますね。

オープン記念の「なまけものくんクッキー」があまりにかわいかったので買ってきました。
スタッフさんにご挨拶して(なんと以前吉祥寺店でもお会いしたスタッフさんでした)、そのあとピープルツリーの自由が丘店にもおじゃましました。私は2度目の訪問ですが、この地でもう17年経営されている直営店です。

明日は大阪に帰ります。

これまでもヴァイオリンのコンサートなどで数回おじゃましていますが、エスペーロ能勢と営業日が重なるので木曜日だけが伺うチャンスでした。

現在クーネロコさんでは、エスペーロ能勢のフェアトレード商品をコー ナーに置いてくださっています。フェアトレードの本も。
オーナーの並河さんとはご家族ぐるみのおつきあいです。クーネロコという名前はエスペラント語で「共に過ごす場所」という意味で、エスペラント語の店名という点でもエスペーロ能勢と共通点があります。
並河恵子さんは元小学校の先生で、学校の先生方が集まれる場所になっているようです。他にも定期的なヴァイオリンコンサートやボイストレーニングなどのアクティビティもされています。


エスペーロ能勢では9月末まで店内の洋服すべて20%オフセールを行っています。先日ボトムス2枚をお買い上げくださったお客様が、翌日その1枚を着用して見せに来てくださいました。とても似合っておられて嬉しくなりました。その時にいただいたジニアの花が窓辺で夏の終わりを楽しんでいるようです。
さて、明日から9月。エスペーロ能勢はほぼ通常通りの営業ですが、12日(月)と16日(金)の2日は臨時休業をいただきます。この週は所用で東京へ行ってきます。9日に自由が丘にオープンするシサム工房自由が丘店へも足を伸ばせたらなあと思っています。
月末の屋根裏シアターは24日(土)25日(日)26日(月)の3日間です。『もったいないキッチン』を上映します。https://www.cinemo.info/85m ゼロウエイスト(フードロスゼロ)を目指す痛快なロードムービーです。

8月の屋根裏シアターは同じ監督の『0円キッチン』でした。とても楽しいゼロウエイスト映画だったのですが、参加される方が3日間で5名しかおられず、ああもったいなかったなあ、もっとたくさんの方に観ていただきたかったなあ、と広報不足を反省しました。それで、9月は早めにご案内します。
『0円キッチン』の舞台がヨーロッパだったのに対して『もったいないキッチン』は日本国内をめぐります。廃棄食材料理人ダ―ヴィッドがどんな食材と出会いどう調理していくのか、今から楽しみです。ぜひ予定に入れておいてくださいね。
それでは、9月もどうぞよろしくお願いいたします。

土曜日と日曜日は、スタッフくまちゃんが、それはそれは優秀な働きをしてくれるので、気分も軽く25食でもよし!という感じなのですが、金曜日と月曜日はテリーさんとふたりで乗り切ります。
昨日15日(月)はお盆の最終日でした。世間の人々はまだお休み中なのだろうか、連休の最終日はあまり外出しないんじゃないかな、などと思いながらも、ご飯は最大量炊きました。
開店間もなくはお客さんもまばらでしたが、12時を過ぎる頃から次々とランチのお客様。私が作ってテリーさんが運んで、二人でお皿を下げて洗って、を繰り返しました。その合間のお客様とのおしゃべりはテリーさんの持ち場です。
なんとかうまく回っているように見えましたが、昨日はふたつ失敗がありました。4人でエスペーロランチを注文してくださったお客様にスープを出し忘れていました(ちなみにくまちゃんがいてくれる日にはこんな間違いはありません)。気が付いた時にはもうほぼ食べ終わっておられたので、アフタードリンクをサービスさせてもらいました。
もう一組の方はご夫婦でケーキひとつをシェアされたのに、2個と間違えて代金をもらいすぎてしまいました。ごめんなさい。
お客様が多いのは嬉しい反面、ゆとりがなくなって、何か忘れたりまちがえたり。
店が空っぽになった4時半ごろ、箕面の店の頃からのお客様がひとりで雑貨を買いに来てくださいました。お買い物が終わってふたりでボーッと外の緑を見ながらゆったりとおしゃべり。その頃には涼しい風もふいてきて、ほっとするひとときでした。お客様は雑貨も好きだけど、町より涼しい能勢の緑にも会いたかったそうです。「今度は雨の日に来たい」と言われていました。
写真は庭の夏水仙。毎年この季節に咲きます。彼岸花の仲間です。

地域柄、お野菜を頂くことが多いです。きょうも玄関に「ごんぎつね」のようにきゅうりが大量に(この写真の2倍以上ありました)。
次々とできるので食べてもらうと嬉しいというR子さんからの差し入れでした。嬉しくて、今日来店いただいたお客様に1本ずつお土産に持って帰っていただきました。
1本といっても大きなきゅうりです。縦半分に切って種を捨てて使ってください、皮が硬かったらシマシマに皮を剥いて、とお渡しすると、お客様はとても嬉しそうな笑顔。野菜をもらうって嬉しいのですよね。自転車のお客様がふたりありましたが、おふたりとも背中のポケットに突っ込んで背負って帰られました(笑)

ランチメニューでもきゅうりの甘酢漬けになりました。
次々と生長して、たとえば商品としては市場に出せない野菜でも、新鮮で美味しいので、ぜひ無駄なくいただきたいものです。
折しも、今月末の屋根裏シアターは『0円キッチン』で、フードロスをなくすべく活躍する「食材救出人」のドキュメンタリーです。
自然の恵みを残すことなくいただく努力はとてもたいせつだと思っています。

バリ島には日本人学校がありません。企業が少なく日本人学校を作るだけの日本人子女がいないためです。
しかし日本人のお母さんとインドネシア人のお父さんの国際結婚による子女は多く、ずっとバリに住み続けるとはいえ、やはり半分のルーツである日本人としての日本語と日本文化を身に付けてほしいというのは、親としての当然の気持ちでした。
そこで日本人会の尽力で1990年に作られたのがバリ日本語補習授業校です。今年は創立32年を迎えます。(写真はFBからいただきました)多くのダブルの子どもたちが、現地校が終わってから補習校で国語と算数を学んでいます。
我が家の二女も中学生の間は、インターナショナルスクールに通いながら補習校で週2回お世話になっていました。国語と数学を学ぶだけでなく、精神的にもどれだけ助けられたかわかりません。

今回補習校を訪れると、たまたま維持会の会議の日で、なつかしい方々に会うことができました。20年前に5年間駐在しただけの私たち をとても温かく迎えてくださいました。みなさん、バリ在住何十年、バリ日本人会を支えてくださっている重鎮です。写真の背景に写っている看板は、当時補習校校長(ボランティア)と習字の先生をしていたテリーさんが書いたものです。
もうひとつ、私たちと補習校を切っても切れないものにしているのは、補習校の「校歌」です。帰国後の私たちの元へ補習校から「校歌の作詞をしてほしい」というご依頼がありました。曲はもうできていて、世界的に有名な竹ガムラン奏者イ・クトゥット・スウエントラさん(2018年没)の作曲でした。

それからの作業はとても楽しいものでした。バリの海や空や子どもたちの顔を思い浮かべながら、こんなにも豊かな島で育ったみんなだから国境を超えて大きくはばたいてほしいという思いで言葉を紡ぎました。以下はその歌詞です。メロディはこちらから聴くことができます↓
https://www.youtube.com/watch?v=7zG-doAQXBI
作詞:斎藤輝久・和子
作曲:クトゥット スウェントラ&斎藤和宏
1.みどりの風さわやかな学び舎に 明るい歌声が響き合い
新しい未来を拓くため 日本とバリと世界をつなぐ補習校
◆ 花のかおり 誇りたかき島に満ちあふれ 清き流れ 深きめぐみ 大地をうるおして
ああ サヌールの海 蒼くあれ われらのびゆく 地球の子
2.椰子の木々見上げればおおぞらの 輝く太陽が呼びかける
ガルーダのように高く飛べ 日本とバリと世界をつなぐ補習校
◆ (繰り返し)
ああ アグンの山よ 永久にあれ われらはばたく 地球の子
3.ブーゲンビリアの花が ささやくよ やさしいこころと祈りのこころ
平和な地球をつくるため 日本とバリと世界をつなぐ補習校
◆ (繰り返し)
ああ バリの空よ 美しくあれ われら希望の 地球の子
バリ日本語補習校は、幼、小、中を合わせて300名以上だった時代もありましたが、今はコロナ禍で仕事を失い日本へ帰国する人が増え、約半分になっているそうです。そうすると経営もなかなか大変で、バリ好きな人、バリにつながりがある人達からの寄付を受け付けています。お気持ちのある方はぜひお問い合わせください。https://jjcbali.jimdofree.com/

これはホテルの朝食ビュッフェです。別にすごくいいホテルというわけではありません。もちろん日本ではこんな大盛りの朝食は食べませんよ。でもここでは食べられてしまう。
ビュッフェを盛り合わせるとナシチャンプル風になります。ナシチャンプルは私の中ではベスト1で、エスペーロランチもそのイメージです。
マイチョイスのこのプレートを簡単に説明します。ごはんは、ナシゴレン(炒飯)、黒米、白ご飯の3種を盛りました。白ご飯は手前のサンバルマタ(玉ねぎやチリで作った薬味)があればいくらでも美味しく食べられます。真ん中は牛肉を煮込んだレンダンとソーセージ、その上は茄子とインゲンの炒め物、その横は野菜のかき揚げです。そしてクルプック(えびせんべい)は欠かせません。

ソト(スープ)もはずせません。ソトアヤム(チキンスープ)が一般的ですが、野菜だけのスープもあります。写真はホテルの前にあった2坪くらいのローカルのワルン(食堂)ですが、ごはんがついて150円ほどのソトアヤムでもじゅうぶん美味しかったで

サーラとディオと一緒に食べに行った時はふたりにまかせてハラール(イスラムにおいて合法という意味)の店に行きました。ふたりはモスレムなので、豚肉はもちろんのこと、豚肉から出たエキスやアルコール由来の物は食べないのです。そんな時に目印になるのがこのマークです。

サーラが日本滞在中、我が家の食卓には一度も豚肉は上りませんでした。みりんの代わりに、ほとんどアルコールを含まない(1%未満)「みりん風調味料」を使っていたことを思い出します。
食はいろいろな文化を教えてくれますね。

バリクパパン空港を出たところで人ごみから飛び出してきたサーラと何度もハグ。相変わらず泣き虫サーラでした。
ハズバンドになったディオは高校の時の1年先輩。身体が大きくて口数は多くないけど優しい気持ちが伝わる好青年でした。高校の時からの愛を何回かの遠距離恋愛を経て結実させたふたりです。
翌日、結婚式の前にお家へ。それほど広くない家の中で親戚の人たちがワチャワチャとしゃべったり笑ったりにぎやかです。お母さん、お父さん、おばあちゃんにご挨拶。ここではさびついたインドネシア語をがんばって繰り出します。とても暖かいビッグファミリーです。おばあちゃんに「私もネネッ(おばあちゃん)です。6人孫がいます」と言うと「私は7人」と茶目っけたっぷりに笑うおばあちゃんでした。サーラに「おばあちゃん何歳?」と聞くと「知らない」。お母さんもサーラも若いので、おばあちゃんはきっと私と変わらないと思います。
私にもインドネシア式のメイクをしてくれて、用意してくれていたクバヤという民族衣装を着て、みんなで式場へ。なぜか私たちもステージに上がって次から次へやってくるゲストとひたすら握手とあいさつをしました。なにしろ700世帯に招待状を出していますから、平均3名来るとして、ビュッフェのフードは2000名分だそうです。スピーチも歌も踊りもなし。ひたすらあいさつして食べてしゃべって適当に帰っていく、というスタイルです。日本の格式ばった結婚式とちがって、ゆる~くて笑いの多い結婚式でした。

ハネムーンはバリです。二人は私たちと同じ飛行機でデンパサールへ移動しました。両方の親御さんと友達が空港まで送ってくれ て、お母さんが「サーラに子どもができたらあなたもおばあちゃんだからね。また会いに来てね」って。バリでは、ハネムーンだからあまり邪魔しちゃいけないと思いながら、それでもㇴサプニダという島へ一緒に遊びに行ったり、町へ一緒にご飯を食べに行ったりしました。写真は島の浜辺を歩くふたりです。幸せのオーラがあふれていますね。それを見る私たちも幸せな気持ちです。
4日間バリに滞在した後、サーラとディオはサーラが大学時代を過ごしたスラバヤへ。私たちは帰国のためにジャカルタへ向かいました。


6月末の暑さ、私たちの体調不良、と続き、さらに明後日はインドネシア旅行(ンドネシアの”娘”サーラの結婚披露パーティに参加します)に出発するため、7月いっぱい休業としておりましたが、少し早く、7月29日(金)から営業再開することにしました。
この間、異常な暑さ、世情不安、選挙結果、コロナ拡大、と心穏やかならぬ日々が続きました。心に不安を感じて暮らしておられる方も多いかと思います。
私たちはたっぷり時間がある中で、エスペーロ能勢のこれまで、これからを考える余裕がありました。そしてまた、元気に営業を再開しようと思います。
昨日も所用のため、テリーさんとふたりで店に行きましたが、ああ、またここにお客様を迎えたいと心から思いました。
29日(金)から、通常通り11時~17時の営業です。みなさまのご来店をお待ちしております。

6月のうちから暑中お見舞いが必要になる暑さですね。ご存知のようにエスペーロ能勢はエアコンがなく外からの風と扇風機だけで夏を乗り切ってきましたが、今年の暑さは想像以上のようです。
お客様だけでなく、私たちスタッフの体力にも限界が見えてきました。
7月にはインドネシア旅行の予定があり、その前後は営業しようと考えていましたが、暑さのこともあり、思い切って今年は7月まるまるお休みとさせていただくことにしました。
ふだんから臨時休業が多いのに、またまた長期のお休みで申し訳ありません。
屋根裏シアターも7月はお休みさせていただきます。いつも楽しみにしてくださっているみなさん、ごめんなさい。
8月につきましては、再度おしらせしたいと思っています。
インドネシアへは7年前に我が家にホームステイしていたサーラの結婚披露宴で行きます。帰りにはバリ島へも寄って、アタ商品などを仕入れてきますので、どうぞ楽しみにお待ちいただきますよう、よろしくお願いいたします。
インドネシア滞在中は電話もつながらなくなりますので、どうぞご了承ください。
またお会いできる日まで、みなさまもどうぞお元気でお過ごしください。