きょうは広島に原爆が投下されて65年目の日だった。テレビで記念式典を見たが、今年は国連事務総長をはじめ、英仏代表や駐日アメリカ大使もはじめての出席ということで、核廃絶へ向けて国際的にアピールできたのではないかと思う。
15年ほど前にいちどだけ記念式典に参加したことがある。広島平和公園の中は、数々のメッセージ横断幕、若者の音楽やダイ・イン、宗教者の祈り、折鶴であふれていた。そして8時15分になると、何万人という参加者がいっせいに黙して祈る。今これだけ多くの人たちが同時に心から平和を祈っているという現場に居合わせた臨場感は今も忘れない。
広島での原爆投下時に14万人の人々が死亡したと推定されている。ひとことで14万人と言ってしまっては現実感がないというので、我が家の子どもたちが小学生のころ、萱野小学校で14万人の人の顔を新聞から切り抜くという作業をしたことがあった。達成できたのかどうかは覚えていないが、せっせと作業をして、校舎の入り口の天井に小さな人の顔の集まりがびっしりと貼られていたのは覚えている。この人たちが一度に死んだと想像すれば、それはものすごいことだと少しは実感できる。
戦争を知らない世代は勉強して想像するしかない。内向きで自分のまわりの小さな世界に閉じこもる若者が増えていると言われるが、少しまわりに目を向けて、もう少し広げて世界に目を向けて、平和な社会をつくるために自分なりにコミットできる人間になってほしい。
15年ほど前にいちどだけ記念式典に参加したことがある。広島平和公園の中は、数々のメッセージ横断幕、若者の音楽やダイ・イン、宗教者の祈り、折鶴であふれていた。そして8時15分になると、何万人という参加者がいっせいに黙して祈る。今これだけ多くの人たちが同時に心から平和を祈っているという現場に居合わせた臨場感は今も忘れない。
広島での原爆投下時に14万人の人々が死亡したと推定されている。ひとことで14万人と言ってしまっては現実感がないというので、我が家の子どもたちが小学生のころ、萱野小学校で14万人の人の顔を新聞から切り抜くという作業をしたことがあった。達成できたのかどうかは覚えていないが、せっせと作業をして、校舎の入り口の天井に小さな人の顔の集まりがびっしりと貼られていたのは覚えている。この人たちが一度に死んだと想像すれば、それはものすごいことだと少しは実感できる。
戦争を知らない世代は勉強して想像するしかない。内向きで自分のまわりの小さな世界に閉じこもる若者が増えていると言われるが、少しまわりに目を向けて、もう少し広げて世界に目を向けて、平和な社会をつくるために自分なりにコミットできる人間になってほしい。