昨日に続いて職業を選ぶということで言えば、京都大学原子炉実験所助教の小出裕章さんのことを思う。
大震災以来、政府やマスコミは原発震災の状況を過小評価して(あるいはわかっているのに隠して)きた。そんな中で、これまで長年にわたって原発に警鐘を鳴らしてきた小出さんはじめいわゆる「原子力村」に属さない専門家の人たちの話が今注目されている。たとえばラジオ毎日放送の「種まきジャーナル」www.mbs1179.com/tane/ではひんぱんに小出さんにインタビューを行い、それを一般の人がネットにユーチューブでアップしてくれている。www.youtube.com/user/nyugankenshin
私がネット上で小出さんの「追っかけ」をするのは、小出さんの話が正確で誠実で信頼できるからだ。科学者も小出さんみたいに心がなくてはね、と思う。友人のR子さんは小出さんを「侍みたいな人」と評する。そうね、それも浪人だけどね(「原発村」に属さない反原発の学者さんたちは決して教授にはなれなかった)。
それで、もう少しこの小出裕章さんのことをご紹介したい(『世界』6月号を参照)。小出さんが東北大学工学部原子核工学科に入学したのは1968年、日本中が「これからは原子力だ」と沸き立っていた時代で小出さん自身も「人類の平和のために原子力が必要だ」と思いこの世界に足を踏み入れた。しかし学ぶにつれて原子力の危険を知るところとなり、それでも原子力の仕事から離れなかったのは「原発に反対する専門家が必要だ」と思ったからだそうだ。そして40年間ずっと原発の危険性を発信し、裁判の証人にもなり、警鐘を鳴らし続けたのだ。
原発がかつての輝きを失い深刻な問題が見えてくる中で、もはや原子力工学は人気の学問ではなくなってきた。しかし、今こそ原子力の専門家が必要だと小出さんは言う。「しかし、私は、誰かに原子力工学を学びつづけてほしいと思うのです。福島第一原発についても、これから長い年月にわたる課題が残ります。それは誰かがやらなければいけません」。
なんということだろう。夢も希望もなくなった原子力をこれから学び負の遺産の後始末をする人間も必ず必要なのだ。そういう仕事の選択をする人こそ、ほんとうに「社会貢献」「社会企業家」と呼べるのではないだろうか。
大震災以来、政府やマスコミは原発震災の状況を過小評価して(あるいはわかっているのに隠して)きた。そんな中で、これまで長年にわたって原発に警鐘を鳴らしてきた小出さんはじめいわゆる「原子力村」に属さない専門家の人たちの話が今注目されている。たとえばラジオ毎日放送の「種まきジャーナル」www.mbs1179.com/tane/ではひんぱんに小出さんにインタビューを行い、それを一般の人がネットにユーチューブでアップしてくれている。www.youtube.com/user/nyugankenshin
私がネット上で小出さんの「追っかけ」をするのは、小出さんの話が正確で誠実で信頼できるからだ。科学者も小出さんみたいに心がなくてはね、と思う。友人のR子さんは小出さんを「侍みたいな人」と評する。そうね、それも浪人だけどね(「原発村」に属さない反原発の学者さんたちは決して教授にはなれなかった)。
それで、もう少しこの小出裕章さんのことをご紹介したい(『世界』6月号を参照)。小出さんが東北大学工学部原子核工学科に入学したのは1968年、日本中が「これからは原子力だ」と沸き立っていた時代で小出さん自身も「人類の平和のために原子力が必要だ」と思いこの世界に足を踏み入れた。しかし学ぶにつれて原子力の危険を知るところとなり、それでも原子力の仕事から離れなかったのは「原発に反対する専門家が必要だ」と思ったからだそうだ。そして40年間ずっと原発の危険性を発信し、裁判の証人にもなり、警鐘を鳴らし続けたのだ。
原発がかつての輝きを失い深刻な問題が見えてくる中で、もはや原子力工学は人気の学問ではなくなってきた。しかし、今こそ原子力の専門家が必要だと小出さんは言う。「しかし、私は、誰かに原子力工学を学びつづけてほしいと思うのです。福島第一原発についても、これから長い年月にわたる課題が残ります。それは誰かがやらなければいけません」。
なんということだろう。夢も希望もなくなった原子力をこれから学び負の遺産の後始末をする人間も必ず必要なのだ。そういう仕事の選択をする人こそ、ほんとうに「社会貢献」「社会企業家」と呼べるのではないだろうか。