

私の父は年に一度だけ、シベリアの話をしてくれました。毎年同じなので家族はみんな覚えるほどでした。シベリアの寒さや厳しい労働などの苦しい体験だけでなく、作業に出て見つけた岩塩の驚くほどのおいしさというような話もありました。
シベリアに仮の墓標のまま残してきた戦友のお墓を建てたい、墓参りをしたいというのが父の生涯の希望でしたが、ソ連がペレストロイカで開国する少し前に、父は夢かなわずして亡くなってしましました。
抑留の経験を「シベリヤ日記」として記録しています。今度Y子さんに読んでもらおうと思っています。


佳子さんはもう80歳を超えていらっしゃいますが、二人のお兄様がA級戦犯とともに今なお軍人として靖国神社に祀られていることに耐えられず、合祀取り下げを求める訴訟を仲間とともにもうずいぶん長く戦われています。お兄様を早く軍隊から解放してあげたいという思いです。
佳子さんのお母様は晩年、淡路島へ移り住まれました。夏になると誰もいない土手のおおまつよい草の中に立って、「けいすけ~ひろし~」と二人の名前を呼ぶことがあったそうです。「ずーっと昔の夕暮時、遊び呆けている幼い二人を呼び戻したように」。