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「おかえりマンゴー」
2012/04/18(Wed) | 食品 | page top↑
ドライマンゴ果物の王様がドリアンなら女王はマンゴーと言われています。そして、どちらも南国の果物です。南国のマンゴーをいったんドライにして保存し、それを一晩ヨーグルトに漬けるとぷるんっとしたマンゴーにもどります。そのフレッシュさに思わず「おかえりマンゴー!」と名付けた友人がいました。なんて素敵なネーミング。

ピープルツリーのドライマンゴーはフィリピンから。NGO「ブレダ基金」が支援する小規模農家の人々が大切に育てたマンゴーから作られました(30g ¥210)。第3世界ショップのドライマンゴーはメキシコから。砂糖不使用ですが自然の甘さが嬉しいです(60g ¥462)。どちらも食品添加物はいっさい使っていません。
マンゴーヨーグルト
おかえりマンゴーの作り方は簡単。ドライマンゴーを食 べやすい大きさ(2cm角ぐらい)に切ってヨーグルトに一晩漬けておくだけ。マンゴーはぷるんっとなるしヨーグルトもマイルドになって、とてもおいしいですよ。どうぞお試しください。
ボリビアからのフェアトレード商品入荷
2012/04/17(Tue) | アクセサリー | page top↑
バレッタとピアス以前ブログでもご紹介したなっちゃん、ウゴさん、たつきくんファミリーが箕面の実家に帰省されていて、来週ボリビアへの帰国を前に商品を持ってきてくださいました。

箕面からはるかボリビアはアマゾン川の源流ルレナバケへお嫁入りしたなっちゃんは、ご主人のウゴさんとともに、先住民の作るアクセサリーや雑貨をフェアトレードしています。彼らのお店ラ・カンビータのHPはこちらから。
http://cambita.web.fc2.com

さまざまな木の実、ココナッツの実、象牙ナッツの実、魚の頭についている石(!)など、いずれも天然素材の優しさと面白さをうまく生かしたアクセサリーばかりです。象牙ナッツのボタン
(写真上ーバレッタとピアス、いずれも¥600)

今回はニューフェースでかわいらしいボタンがありました。象牙ナッツでできています(写真中)。象牙ナッツの外側は茶色で すが中は象牙色です。そこをうまく利用してきれいな模様を彫っていきます。手芸のアクセントにいかがでしょうか(ナッツのボタン2~3個入り ¥250)。

ヤシの葉で編んだこんなすてきなかごもありますよ。鶏のかごなので卵を入れたらぴったりかもしれませんね。30㎝x12cmx15cm、卵が15個ぐらいは入りそうです。(ヤシの葉かご ¥2,000

ヤシの葉のかご 京都での手作り市に出店したりお花見に行ったり日本の桜を満喫したウゴさんファミリーも、そろそろボリビアのフェアトレードショップが気になってきたようです。ボリビアでまた元気に活躍してくださいね。チャオ!

4月15日(日)「シベリア抑留のお話を聴く会」
2012/04/15(Sun) | お店日記 | page top↑
日曜の午後、みのおピースリボンの会の主催で「シベリア抑留のお話を聴く会」が開催されました。「シベリア抑留」については学校でもほとん教えられないし体験者が高齢で激減していることからあまり知られていませんが、第二次大戦後の満州で捕虜となった日本兵や民間人が、ポツダム宣言に違反したソ連によってシベリア、モンゴル、中央アジアなど広範囲に移送され、飢えと寒さと強制労働の苦しい数年間を送った事実を言います。約60万人が抑留されそのうちの約1割が現地で死亡しました。

今回お話を伺った安田貫三さんは神戸市在住の89歳。満州で国境警備隊の兵士であった時に8月15日の終戦を迎えましたが、部隊には終戦が知らされなかったため8月29日まで戦い、そこでも2000人近くの命が落とされました。安田さんはその後3年間、シベリアのチタ州ハラグンのラーゲリ(収容所)で過酷な生活を送ることになります。
安田さんの資料
シベリアの気候は厳しく、冬はマイナス30度から40度にもなります。着の身着のまま、1日の食べ物が黒パンひとかたまり、それで森林伐採の重労働ですから、栄養失調や寒さで亡くなる人が多かったのです。南京虫やシラミにも悩まされました。数ミリもある大きなシラミを使ってシラミレースをするのだそうです。一番早くにゴールしたシラミの持ち主がマッチ箱ぐらいの黒パンがもらえるという、笑えない賭け事もあったとか。停車している貨車から失敬した岩塩で命をつないだとか、松の枯れ枝に住む幼虫が何よりのごちそうであったとか、食べ物にまつわる話はきりがありません。

実は亡くなった私の父もシベリア抑留者でした。それも安田さんと同時期同地区のラーゲリにいたということがわかり驚きでした。抑留生活をほとんど家族に話さなかったという人も多い中で(話すのがつらすぎたのだと思います)、私の父はわりと話してくれた方でした。栄養失調で死んだ戦友の話や、松の実や岩塩がおいしかった話や、寒くて糞便がすぐに凍った話などです。父は戦友の墓参りを生涯の夢としていましたが、ソ連が開放される直前に亡くなってしまいました。

きょう安田さんの話を多くの方が聴きに来てくださいました。父や祖父が抑留されていたという人たちや舞鶴の引き揚げ記念館で語り部ボランティアをやっている人もありました。安田さんは残る人生をシベリアを伝えることに専念されています(写真は安田さんのライフワークとも言えるシベリア資料です)。今回の会は朝日新聞の「声」欄「語りつぐ戦争」の安田さんの記事がきっかけでしたが、実際、体験者が激減していく中で、「語りつぐ」ことの大切さを感じた1日でもありました。
薬では治らなかったのに・・・ねんど化粧品のやさしさ
2012/04/14(Sat) | ボディケア製品 | page top↑
先月、箕面こどもの森学園のロハスフェスタに出店した時お会いしたOさんがエスペーロに来てくださいました。フェスタの時、ねんど化粧品「ボディクレイ」のMさんが手浴のワークショップをされていて、Oさんはそれを体験されました。「ボディクレイ」はエスペーロがねんど化粧品を卸してもらっている会社です。

もともとOさんはアトピーの症状があって、肌のかさかさやかゆみに悩まされていましたが、「ねんどの入浴剤」を塗ってお風呂に入ることを繰り返しているとお肌がすっかり改善したそうです。お医者さんの薬ではなかなか治らなかったのに・・・と言われていました。
ねんど化粧品
「ボディクレイ」さんのホームページ http://www.bodyclay.info/top.html に詳しく説明してありますが、ねんどは汚れを取る 「吸着性」と潤いを与える「保湿性」を同時に備えているため、汚れを取りながらも肌を傷めないのですね。

「ボディクレイ」のねんど化粧品はすべて基礎化粧品です。入浴剤のほかにもパック、クリーム、ソープ、リンス、日焼け対策、フェイスソープ、ローション、はみがきなどラインナップも豊富で、エスペーロにもほとんど置いています。もちろん店主の私も愛用しています。

一般に化粧品は値段もピンからキリまで、コマーシャルもいちばん華やかにコストがかけられると言います。私たちはそういうコマーシャルに踊らされてあれを使いこれを使いしながらやってきたように思います。そんな中でねんど化粧品は価格もお手頃、そしてOさんのように口コミで良さが伝わるのがいちばん説得力があるのかもしれません。きょうはOさんは自分用の他にも「お友達にも教えてあげたい」と、プレゼント用にねんど化粧品を選ばれました。ねんど化粧品の愛好者がこうやって増えていくといいなと思います。

4月11日(水)明日12日は臨時休業
2012/04/11(Wed) | お店日記 | page top↑
明日4月12日(木)は、都合によりエスペーロは臨時休業させていただきます。申し訳ありませんが、よろしくお願いいたします。
4月9日(月)帰省日記
2012/04/09(Mon) | お店日記 | page top↑
今年から月曜日を定休日にしたおかげで、日月と少しゆっくりできるようになりました。そこで先週の土曜日の夜、店を閉めた後私たち夫婦は私の実家である中国山地の三次へ車を走らせました。実家では94歳になる私の母が、家族やデイサービスの方々のおかげで、心穏やかな毎日を送っています。デイサービスと食事の時間以外はベッドに横になっていることが多いのですが、「ご飯も食べられるしトイレにも歩いて行けるしお母ちゃんはしあわせね」と言うと、にこにこして胸をふたつたたきながら「しあわせ、しあわせ」と言うのでみんなで爆笑。そんな明るい母です。

桜まつり 日曜日は近くの鳳源寺で「桜まつり」があったので、姉家族も連れ立って見に行きました。実は、三次は忠臣蔵に縁のある町なのです。松の廊下の刃傷事件で切腹となった浅野内匠頭の正室阿久利姫は三次藩浅野家から嫁ぎました。この鳳源寺には、阿久利姫(後の瑤泉院)の遺髪塔や大石内蔵助の手植えと伝えられる桜の木があります。肝心の桜はまだつぼみでした・・・

もうひとつ特記すべきは、この「桜まつり」に大きな役割を果たしているのが私の高校時代の同級生たち「桜植えよう会」のメンバーだということです。お寺や川土手に桜を植えたり、木のベンチを作ったり、この日は彼らが育てて挽いて打った蕎麦のふるまいもありました。とてもおいしいお蕎麦でしたよ。そうやってみんなで「町おこし」をしているのです。いいなあ、と思います。おかげで私は桜まつりと同時に同窓会のようにたくさんの同級生に会えました。何人かの人が「ブログ読んでるよ」と言ってくれて嬉しかったです。高校生の頃は早くこの小さな町から出たいと思っていましたが、こうやって同級生と仲良く再会できるのも小さい町だからこそだと今は思います。
蒜山高原
その夜は岡山県の湯原温泉に泊まり、翌朝蒜山(ひるぜん)高原まで足を伸ばしました。蒜山高原は岡山県の最北、もう少し で鳥取県というところにあります。このあたりは「彼岸七雪」と言うそうで、お彼岸の後でも7回雪が降ると言われるくらい寒いところです。山だけでなく、地面にも根雪がまだしっかりと残っていました。空気がきれいでとても気持ちの良いところです。車を停めて歩いていると、かわいらしい雑貨とパンと喫茶のお店があり、入ってみました。

このお店「のーすぽーる」の店内は私たちだけだったので、おいしいコーヒーをいただきながらマスターといろいろおしゃべりしました。自分はサラリーマンをやめたらこの蒜山に住むことを決めていた、本当は北海道がよかったけど岡山に親もいるし。ひょんなことから定年前にのーすぽーる サラリーマンをやめることになったので、経済的にもちょっと予定がくるってしまったけど、こういう店を開くのが妻の夢だったし、自分は好きな蒜山に住めるので決心した。子どもたちにはちょっと迷惑かけたかな・・・そんな話を聞いていたら、奥さんが焼きたてのパンを自宅から運んで来られました。蒜山名産のジャージーバターを使った天然酵母パンは、当然のことながらとってもおいしかったのですよ。

私たちは夫婦で小さなフェアトレードショップを、「のーすぽーる」のご夫婦も二人で小さなパン屋さんを。ちょっと似ているね、とお話しました。前夜泊まった宿で蒜山出身の仲居さんが「中国山地のチベット」と笑っておられましたが、夏はキャンプ、冬はスキーに絶好の場所です。蒜山高原を訪ねられたら「のーすぽーる」でおいしいパンとコーヒーに出会ってくださいね。
http://www16.plala.or.jp/northpole/
春色シルクスカーフ
2012/04/06(Fri) | 衣類 | page top↑
春色シルクスカーフ 
コートを脱いで軽やかに街を歩ける季節になりました。春の装いにこんなふんわりスカーフはいかがでしょうか。タイから第3世界ショップを通してやってきた手織りのスカーフたちです。繭玉の最も外側の部分を使っているので、シルクでありながらコットンの風合い。そしてシルク100%なのに1,575円というお手頃価格なのも嬉しいですね。
4月5日(木)火事騒動
2012/04/05(Thu) | お店日記 | page top↑
火事騒動 今朝、いつものように自転車で店に向かっていると、店の方から消防車のサイレンが聞こえてきます。もっと近づくと、なんとエスペーロの前あたりに消防車が止まっているではありませんか!

はやる心を押さえて急いで到着すると、エスペーロは無事。ホッ。エスペーロの西隣のマンションでした。3階部分からモクモクと煙が出ていてキナ臭い匂いもします。

消防車、救急車、パトカーも止まっていて、通る車も人も火元のマンションを見上げています。私もしばらく外で様子を見ていました。

幸いけが人はなく、マンションの3階の1室が燃えて沈火したようです。ああ、びっくりした。ちょっとした火事騒動でした。

乾燥した風の強い日が続きます。みなさまも、火の元にはくれぐれもご注意を。(真ん中の白い壁の建物の1階部分がエスペーロ。その後ろのマンション3階から煙が出ています)
4月の臨時休業および5月連休の営業について
2012/04/04(Wed) | イベント | page top↑
昨日の最大級の嵐も去って、きょうはまた4月らしいお天気ですね。4月のカレンダー
さて本日は、来週の臨時休業と連休の営業日についてご案内いたします。

4月12日(木)は都合により臨時休業とさせていただきます。申し訳ありません。このため、4月のお休みは次のとおりになります。
4月1,2,8,9,12,15,16,22,23,29日
4月30日は本来なら定休日ですが、エスペーロの2周年を記念して営業いたします。4月30日(月)~5月5日(土)の1週間は休まず、エスペーロ2周年感謝セールを行います。この1週間限定で、ピープルツリー、ネパリバザーロ、シサム工房などの衣料品が一部特別価格になります。どうぞお楽しみに。

4月3日(火)春の嵐
2012/04/03(Tue) | お店日記 | page top↑
20120403嵐 きょうは朝のニュースでも全国的に大荒れの天気と予報していましたが、箕面にも嵐がやってきました。

2時過ぎ、空がまるで夕方のようにかき曇り、雨と風がものすごい勢いで吹き荒れました。それはもう、台風級の風でした。風も雨も真横に吹きぬけていくのです。街路樹は音を立てて揺れまくります。視界が悪いため車はさすがにハザードを点滅させてゆっくりめに走りますが、道路わきにたまった水はバシャッバシャ波立ちます。(写真はエスペーロの窓から見た道路です)    

私は外に置いたエスペーロの立て看板が気になってしかたありませんでしたが、外へ出て看板を取り込むこともできません。ひたすら風で飛ばないことを祈っていました。けっきょく鉄の重しのおかげで大丈夫でしたが。

少し前に帰られたお客様は無事に家まで帰られたかしら、車で遠出と言われていたお客様はどこらあたりかしら、と気にしているうちに、いつの間にか嵐はやんで、4時ごろになるとお日さままでさしてきました。さっきの嵐はなんだったの?というぐらいの変わりようです。そして「さっきはすごかったですねえ」とまたお客様が来てくださいました。

この嵐は東へ移動したのでしょうか?東京の会社などでは早めの終業、帰宅を決めたところもあるようです。電車が止まったりして帰宅困難者が出ることを恐れたのでしょうね。
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