
すると、ちょうどその時にエスペーロに来ていたふたりの女性が、なにやらこちらを伺っています。「もしかしてフラの話ですか?」「そうそう、あなたたちも?」となって、その偶然にみんな大喜び。彼女たちはフラのレッスンの帰り道だったのです。
それから、どんな曲やってる?とか、笑顔が難しいよね、とか、しばし盛り上がったことはもちろんです。
それにしても、エスペーロではよくこういうことがあります。「類は友を呼ぶ」式の出会いがほんとうによくあるのです。そういうときはその偶然が嬉しくて、私はエスペーロ・マジックと呼んでおもしろがっています。

大航海時代の16世紀以来長くポルトガルの植民地であった東ティモールは、1974年にポルトガルが主権を手放すと独立の気運が一気に高まりましたが、1976年にすぐ隣の大国インドネシアに併合されてしまいます。この時は併合を非難する国連決議が採択されましたが、日本を含む西側大国はインドネシアとの関係を重視してこの併合を黙認しました。
それから長い間、独立を目指す抵抗運動とインドネシア軍による弾圧、殺戮の時代が続きました。インドネシア占領下で殺戮や飢餓により命を落とした人は20万人とも言われています。1998年にインドネシアの民主化運動によりスハルト政権が崩壊すると、東ティモールでも1999年直接住民投票が行われ、約8割の人々が分離・独立を選びました。しかしその後も独立派と反独立派の対立は続き、国際社会の支援の下に2002年5月20日、やっとの思いで東ティモールは独立を果たしたのです。 (地図はJICAホームページより)

しかし独立後の生活も大変でした。東ティモールへ何度も行っている人に聞くと「何も産業がない」のだそうです。それに独立 してからはインドネシア製品は輸入品になってしまうので、インスタントラーメンひとつとってもひどく値上がりしたそうです。
しかし、「何も産業がない」国で希望はコーヒーです。おいしいコーヒーが採れるのです。エスペーロでもパルシックの「カフェティモール」は人気です。(カフェティモール 粉、豆、200g ¥735)
私は1999年から2003年まで夫の仕事の関係でインドネシアのバリ島(上の地図の「インドネシア」のネの字の上にある島)に住みました。当時もニュースで東ティモールの動きは知っていたものの、その時よりも東ティモールのコーヒーを販売している今の方がこの国を身近に感じるのですから、ふしぎなものですね。