
1984年にハンセン病治療に携わるためにペシャワールに渡った中村さんですが、その後ソ連侵攻で生まれた多くのアフガン難民のために診療所、巡回診察、旱魃対策としての水源確保、農業、学校建設など、人々が生きるための事業を28年間続けてきました。
乾いた大地が緑の小麦畑に生まれ変わるDVD『アフガンに命の水を』は本当に感動的です。病気の治療よりもまず食べられることの重要性を実践した成果です。水路を作るのに、中村さんは現地の人々を雇用します。日本の伝統的な河川技術を学びアフガンで生かします。
中村さんの言葉は私の胸に深く届きます。講演後の質疑応答から。
☆ペシャワールに渡った最初のきっかけは?の質問に「りっぱな医師が人々を助けるために・・・と脚色した物語にされがちですが、実は私は山と蝶が好きで蝶の多いペシャワールに住みたかったのです」
☆アフガンの人たちは貧しくてもなぜ明るく生きられるのですか?の質問に「失うもののない人たちの楽天性です。持ち過ぎないことです」
☆自衛隊がアフガンに入ったことをどう思われますか?の質問に「軍隊が軍服を着て入ってきたら、軍隊に親兄弟を殺された人たちは憎しみを感じます。日本への信頼もくずれる」
☆2008年に伊藤和也さんが現地で殺されたことについて言及しないのはなぜ?の質問に(私はこんな質問をしてほしくないと思いましたが)「話したくないからです。日本人が死ぬと政治的に利用される。死ぬことは死ぬこと。そのまま受け入れてほしい。アメリカ人10人が死ぬと大騒ぎするが現地の人が何千人死んでも大きなニュースにならない。いったい人の命は平等なのか?」
☆健康状態を聞かれて「日本に帰ってくると具合が悪くなる。コレステロールを気にしなきゃいけないし(アフガンでは金持ち以外ほとんど肉は食べない)身体を動かさないから」
☆中村さんはユーモアもあって、患者さんを診ている写真を見せながら「こういう写真を見ると私が医療者だということがわかってもらえる」。「カレーズ(地下水路)は実は枯れるんですよね」(このダジャレはこれまで何回も繰り返されたことでしょう)「国際支援というけれども、私は九州とアフガンしか知らない田舎者です」
きょうの講演会でますます私は中村さんのファンになりました。中村さんと現地の人々による事業は、すべて寄付によって賄われています。それで、中村さんは時々帰国してこうやって支援者に報告し、また新たな支援者を得てアフガンに戻られます。私も遅ればせながらペシャワール会の会員になることにしました。