
以前もブログでご紹介したことがありますが、楠村では20代の若者たちがソーラーエネルギーだけを使って自給自足の生活 をしています。後を継ぐ人がいなくて耕作放棄地となった土地を借り受けておいしい有機栽培茶を作っており、エスペーロでも販売しています。自分たちが食べるお米や野菜ももちろん自分たちで作ります。家もお風呂もトイレも自分たちでつくってしまう彼らは、ここである種のサバイバル実験をしているのだそうです。
随時インターンも募集していますので、将来を悩んでいる若者はいちど飛び込んで自分を試してみてはどうかと、私などは思ってしまいます。じっさいひきこもりの青年にも薦めているところです。
今後、気象の変化や世界情勢によっては、食べることは自分で何とかしなければいけない時代が来るかもしれません。そんなとき自給自足ほど強いものはありません。それに3.11のような大災害に遭遇した時にもこういう生活が役に立つはずです。そんなことを強く感じさせてくれる番組でした。
蛇足ですが、昨日エスペーロのブログへのアクセス数が通常の6倍ぐらいに増加しました。なぜだろう?とふしぎに思って調べてみると、この番組をて観て「楠クリーン村」をネット検索した人の網にエスペーロの以前のブログが引っ掛かったようなのです。思わぬラッキーでした。それにしてもテレビの力ってすごいですねえ。
(楠クリーン村の煎茶 70g ¥892 ほうじ茶 100g ¥630)

次に山のように積み上げられた山羊革商品の中からお気に入りを選びました。いつもはアソートで送られてくるのが、きょうは自分で選ぶことができます。とくに動物柄のペンケースはお手頃価格でかわいくて人気なのでたくさん仕入れました。
1時からはペルーのアルパカニット生産者を訪ねたスタッフさんの報告会がありました。アルパカニットは軽くて暖かくて、第3世界ショップのおすすめ商品です。離婚やシングルマザーが多いペルーの田舎の女性たちの大切な仕事になっているそうです。子どもたちを遊ばせながら芝生の上で楽しそうに編んでいる編み手さんたちのスライドを見ていると、工場の機械から生まれてくる品物とは違う暖かさの理由がわかる気がしました。
第3世界ショップをおいとまして、次に渋谷のぐらするーつさ

遠方の展示会へ行くのは交通費もかかるのでどうしようかなと考えたのですが、お店のスタッフさんと会えたし、ペルーのお話も聞けたし、東京の友人にも20年ぶりに会えたし、とても充実した1日だったと思います。

サラダさんは40歳の時に「子どもたちの手も離れたことだし何か社会のために仕事がしたい」と思い、それまで夫の転勤で渡り歩いた電気も水道もないような田舎の女性たちに仕事をつくることを考えました。古い封建的な家制度が残っているネパールの田舎の女性たちは家のためにだけ働いて一生を終えることが多かったのですが、ネパリバザーロとサラダさんのコラボから縫製の仕事を得て、しだいに生き生きとした自分自身の人生を取り戻していったそうです。経済的なことも嬉しいけどそれ以上に自分の技術を生かして仕事ができることが大きな喜びになっているということでした。コットンクラフトでは、バッグなどの小物から始まって今では日本の消費者にも100%納得してもらえる数々のすてきな洋服を作っています。
ネパリバザーロの代表である春代さんは、控えめでおだやかな語り口ながら、ひじょうに意志が強くあきらめない柔軟な精神の持ち主です。もともとはネパールに学校を建てる活動でした。しかし活動していくうちにネパールの子どもたちが学校へ行けないのは学校がないからではなくて貧しいからだということに思い至りました。それで貧困解決のためのビジネスとしてフェアトレードのビジネスを立ち上げたのです。それから数知れぬご苦労があったと思いますがそれをさらりと語り、常にまわりの方たちへの感謝を口にされます。

アチャの阿字地さんはお客様から大変慕われる人柄であると同時に世の中の不公平をなくすことにひじょうに熱い思いを持 った方です。サポーターさんたちも多く、きょうのファッションショーではその方たちが率先して楽しくショーを展開されました。
サラダさん、春代さん、阿字地さんという3人のすばらしい女性にお会いできて、学ぶことの多い1日でした。そしてフェアトレードの原点にふたたび目を向けることができました。ここのところエスペーロはお客様が少なく(ニッパチー2月8月は商いはだめと言いますが)落ち込むことも多かったのですが、きょうのイベントで元気をいただいたのでまたがんばろうと思います。きょう一緒にイベントに参加したY子さんに「エスペーロでファッションショーやる時は出てくれる?」と聞くと「もちろん出ます!」と言ってくれたので、来年あたりチャレンジしようかなあとも考えています。

今シーズン、私たちは自然から着想を得て、ピープルツリーが大切にしている「人と地球を最優先にする」という価値観を表現しました。人と地球を中心に考えてビジネスをするということは、めまぐるしく変化するファッションの世界で、「スロー」な価値観を大事にするということです。
(中略)
このカタログで紹介している製品は、そのひとつひとつが、ピープルツリーのフィロソフィーをいきいきと伝えています。オーガニックコットン、手仕事でつくられた服や雑貨、途上国の農村のコミュニティーをを支える伝統的なスキルが息づいています。
(後略)

写真はランダムボーダー・シリーズのドレスです。素材はオーガニックコットン100%。 グレイやブラックのボーダーがベージュ生地に映える、大人っぽいデザインです。リボンはつけてもとりはずしても。同じランダムボーダーのトップやチュニックもあります。
(OCリボンドレス ¥6,900)

こちらはドット・シリーズのスカートです。素材はオーガニックコットン100%。手描きのような不揃いなドット・プリントが、かわいらしさと上品さを演出します。両サイドにつ いた大き目のポケットもかわいいですね。
(OCスカート ¥6,900)
このほか刺繍のトップやかわいい雑貨、アクセサリーも入荷しています。
調味料のチャツネは日本ではまだあまりなじみがないかもしれません。私が使うのもカレーにコクを加えるため、ぐらいでした。でも、実はほんとうにいろいろな使い方があって、日本の醤油や味噌と混ぜてもおいしいことがわかりました。
このチャツネはスリランカから来ています。スリランカのような南の国ではたくさんのマンゴーがなります。マンゴーはもちろんそれ自体とてもおいしい果物ですが、たくさんなり過ぎると南の国の人たちはたっぷりのスパイス、酢、砂糖と煮込んでチャツネとして保存するのです。
さて、ではチャツネのおいしい利用方法を、第3世界ショップの情報チラシからご紹介しましょう。
①サラダドレッシング
材料:玉ねぎ1/2個、油大さじ3、塩小さじ1/2、チャツネ大さじ1、酢大さじ3
作り方:玉ねぎをみじん切りにして、油、酢、マンゴーチャツネ、塩を入れて混ぜる。
②簡単ピリ辛エビマヨ
材料:(2人分)むきえび160g、酒小さじ1~2、片栗粉適量、油適量、A(マヨネーズ大さじ2.5、マンゴーチャツネ大さじ1、ケチャップ小さじ1)
作り方:1.むきえびに酒をふる。
2.Aを混ぜ合わせておく。
3.1.の水気をふき取り片栗粉を薄くまぶし、油を多めにひいたフライパンで両面をカリッと焼く。
4.3.をAに入れてからめてできあがり。
③簡単甘辛とり丼
材料:(2人分)鶏モモ肉200g、レタス1/2個、ねぎ適量、ご飯2膳分、油、ごま油適量、簡単焼肉ソース(醤油大さ2、酒大さじ1、マンゴーチャツネ大さじ1)
作り方:1.鶏肉を適当な大きさに切り、簡単焼肉ソースに10~20分つける。
2.レタスを千切りに、ねぎを白髪ねぎにする。
3.鍋にサラダ油を熱してソースごと鶏肉を入れてよく炒め、火が通ったら香りづけにごま油を加える。
4.ご飯の上にレタスを指揮、その上に鶏肉、ねぎを盛りつけてできあがり。
(マンゴーチャツネ レシピ付き 200g¥703 スリランカより)

その時ちょうどエスペーロには臨月のお腹をかかえた若いママと2歳のねいちゃんという女の子がいました。ママとねいちゃんは2人目のお産で箕面の実家に来られているのでした。
おばさま、次にかわいいねいちゃんに気がつきました。「まあ、かわいいね、なんさい?」ママのお腹にも気がつき「あれ、もう生まれそう。いつ?」来週が予定日だそうです。「元気な子を産みなさいよ~」とそのママのお腹をスリスリ。「みんなになでてもらうと元気に生まれるといいますよ」と私。
それからママがながめていたうさぎのスプーンをレジに持ってきて「これ、この人に」。若いママは恐縮していましたが「いいの、いいの」。「まあ、プレゼントですね。これもご縁で」と私。
いろいろお買物の後、6人連れのおばさまたちはまたドヤドヤ(失礼・・・)と帰っていかれました。
わずか10分の間に、まったく知らないお客様の間でこんな交流がうまれたわけですね。二人目をこれから産んで育てようとしている若いママを励ましたい気持ちがおばさまからあふれていました。このように、好意をまっすぐに行為に表す、いわゆる「大阪のおばさま」の率直さを、私はとても好きだなあと思いました。

空は青く67年前の8月6日もこのようであっただろうと思いました。「青い空は青いままで子どもらに伝えたい~」という歌がありますが、私はこの歌を歌うたびに心からそうあってほしいと思います。
戦争に限りません。3.11以後東北の空は(いえ、空はつながっているのですから東北だけではありません)目に見えない汚染をしてしまいました。放射線被害は急性か晩発性かの違いこそあれ原爆も原発もいっしょです。原爆慰霊碑には「やすらかに眠って下さい。あやまちは繰り返しませぬから」と書いてありますが、私たちは今原爆犠牲者の人たちに向かって胸を張ってこの言葉を言うことができるでしょうか。

慰霊碑の前でツアーらしきグループが黙祷を捧げていました。ツアーの流れがそうなっているからだとは思いますが、それはそれでやはり美しい姿でした。一方個人で訪れている人たちは一生懸命カメラを向けてはいますが、祈るということを忘れているように見えました。それはとても残念なことでした。
「原爆の子の像」は原爆症の回復を祈って折鶴を折り続けたサダコさんの像です。昭和30年代、サダコさんのお墓は県北の 私の実家のすぐそばにありました。毎年8月6日にはラジオ体操のあとみんなでサダコさんのお墓参りをしたものです。サダコさんの物語は今では英訳されて世界中の人たちに知られるところとなっています。
日本人だけでも310万人の死者を出した太平洋戦争は、わずか1世代前に起きたことです。ごく最近のことです。忘れ去られるには重過ぎる事実を、私たちはしっかりと自分のこととして受け止め、絶対に同じ過ちを繰り返さないようにしなければなりません。未来を生きる子どもや孫たちのために。
ある日のこと、息子の親友(10歳)から、彼の母親の誕生日プレゼントを買いにいくのを手伝ってほしいと頼まれました。ふたつ返事で一緒に街へ行くと、彼は迷わずあるお店に入っていきました。「お母さんはこのマークがついているものが好きだから」と彼が入ったのはフェアトレードショップ。そこでチョコレート、ハーブティー、生花(英国へは主にアフリカから輸入される)を自分のお小遣いで買いました。なんだかぽっと心が温かくなったと同時に、親の日常の買い物そのものが子どもたちの教育になっていると実感させてくれた出来事でした。
この文から、私は2つのことに心打たれました。ひとつは少年がプレゼントを選ぶ選び方で、お母さんが何が好きか、何をあげれば喜ぶかを知っていること。もうひとつは日常の買い物を通してお母さんが少年にちゃんとメッセージを伝えていることです。いい話ですね。
エスペーロがフェアトレード商品を入れてもらっている国際協力NGO「シャプラニール」のツアーで福島県いわき市を訪ねてきました。今年の2月11日に続いて2度目の訪問です。いわきを忘れない、いわきの人々を忘れない、応援してるよというメッセージを届けに行くことが目的です。 豊間の海は少し波が高かったけど前回同様深い紺碧の色を写していました。むこうに映 画『喜びも悲しみも幾年月』や美空ひばりの『みだれ髪』の舞台になった塩屋埼灯台が美しい姿を見せています。
豊間の海で育ち海のすぐそばで木工所を経営する宮大工のSさんが2月と同じ笑顔で私たちを迎えてくれました。豊間復興 の中心となって動いている方です。1周忌には海岸線にキャンドルをともして供養をしたと写真を見せてくださいました。近所の50代女性Hさんとも再会できました。以前勤めていた水産加工所が再開不能になったHさんですが「私ね、新しい仕事をみつけたのよ。こんなおばさんだってがんばってるんだから若い人たちもがんばんなさいってね」。津波で夫を亡くした後期高齢者のKさんは「新しい土地をもらうまで5年かかるっていうから私のような高齢者は待っていられないんです。息子といっしょに土地を買って家を建てることにしたけど、仮設で待っている人たちに申し訳なくて・・・」。被災者の人たちの間で、避難、補償、住宅再建などについて微妙な心理的分断が起こっていて、それが人々の大きなストレスとなっていることがわかります。
8日6、7日はいわき市平の七夕祭りでした。笹竹やくす玉が商店街に上がる賑やかな伝統のお祭りです。私たちも飾り付けを少しお手伝いさせてもらったあと、通りを見て歩きました。この写真のくす玉飾りはいわき市に避難してきている原発すぐそばの町、大熊町の飾りです。本来なら自分たちの町に飾るのですが、それができないので仮設住宅で作っていわきで飾ってもらったということでした。仮設住宅を訪問して大熊町の人々のお話を聴くことができました。ひとりの女性は福島第一原発の中の売店で働いていて地震に遭ったということでした。その時の恐怖、子どもたちと親戚や避難所を転々としたこと、仮設は国からは2年間と言われているけど、2年間では短すぎてとても無理であることなどなど。
最初の夜宿泊したホテル「ハワイアンズ」は映画『フラガール』の舞台になったリゾートホテルです。ホテルの支配人さんか ら聴いた3.11の日の話とその後の長い復興の道のりは、涙なくしては聴けない心を打つお話でした。地震直後に従業員全員が心を合わせて1000人近くの客の安全を守ったこと、その時のお客さんが今は第一のサポーターになってくれていること、休業を余儀なくされた期間に他府県の同業のホテルが従業員を受け入れてくれたこと、フラガールズたちが全国をキャラバンして歩いたこと・・・その様子をドキュメントで描いたDVD『がんばっぺフラガール!』と本『フラガール3.11』を買ってきました。そして、お話を聴いたあとで見たフラのステージは感動もひとしおでした。
いわき市で震災前から有機農法で野菜を作っているKさんの農園にもおじゃましました。Kさんは日本の農業を大いに憂えています。人間の命にもっとも大切な農業をおろそかにしてきた行政に怒っています。Kさんは話の中で「みなさん、安ければいいんですか?」と何度も声を強めました。あまりに野菜が安く買いたたかれるので、Kさんは3年前から新しい産物に挑戦しています。それはオリーブです。いわきはオリーブ栽培の北限です。「西の小豆島、東のいわき」と言われるようなオリーブを作りたいのだそうです。日本のオリーブオイルは99パーセントが輸入品ですから、いわき産の上質なオリーブオイルができればそれは新しい希望の商品になります。全国の人々にオリーブの木の里親になってもらって実がなったら摘みに来てもらいたい、と熱く語るKさんを私たちは応援したい気持ちでいっぱいになりました。
最後の日は、シャプラニールがいわき駅近くに置いている被災者交流スペース「ぶらっと」を訪問しました。「ぶらっと」には、 大熊、双葉、浪江など避難地区に関する最新情報や、不動産情報、就職情報などが集められており、1日平均40人の人たちが訪れるそうです。情報だけでなく、みなさんのおしゃべりの場、手芸や工作など手を動かす場所にもなっています。仮設住宅であれば集会所もあってまだ交流の機会がありますが、浪江のようにみなさんが借り上げ住宅だと孤立してしまう人が多いのです。この日お会いした浪江の女性は震災後9回も転々としたということでした。
2泊3日のツアーで、私たちはさらに強くいわきを感じ、さらに深くいわきの人々を好きになりました。これからもつながっていきたい、と参加者のだれもが思いました。ところで、震災後に福島のことを歌った「予定~福島に帰ったら」という歌があります。ふるさととはこういうもんだなあと思える歌です。ぜひ聴いてみてください。http://www.youtube.com/watch?v=k-WfqObM8r0