
空は青く67年前の8月6日もこのようであっただろうと思いました。「青い空は青いままで子どもらに伝えたい~」という歌がありますが、私はこの歌を歌うたびに心からそうあってほしいと思います。
戦争に限りません。3.11以後東北の空は(いえ、空はつながっているのですから東北だけではありません)目に見えない汚染をしてしまいました。放射線被害は急性か晩発性かの違いこそあれ原爆も原発もいっしょです。原爆慰霊碑には「やすらかに眠って下さい。あやまちは繰り返しませぬから」と書いてありますが、私たちは今原爆犠牲者の人たちに向かって胸を張ってこの言葉を言うことができるでしょうか。

慰霊碑の前でツアーらしきグループが黙祷を捧げていました。ツアーの流れがそうなっているからだとは思いますが、それはそれでやはり美しい姿でした。一方個人で訪れている人たちは一生懸命カメラを向けてはいますが、祈るということを忘れているように見えました。それはとても残念なことでした。
「原爆の子の像」は原爆症の回復を祈って折鶴を折り続けたサダコさんの像です。昭和30年代、サダコさんのお墓は県北の 私の実家のすぐそばにありました。毎年8月6日にはラジオ体操のあとみんなでサダコさんのお墓参りをしたものです。サダコさんの物語は今では英訳されて世界中の人たちに知られるところとなっています。
日本人だけでも310万人の死者を出した太平洋戦争は、わずか1世代前に起きたことです。ごく最近のことです。忘れ去られるには重過ぎる事実を、私たちはしっかりと自分のこととして受け止め、絶対に同じ過ちを繰り返さないようにしなければなりません。未来を生きる子どもや孫たちのために。