
少しご紹介しますと
「この度は、花供養2013を執り行うに際し、遠方よりたくさんのお心こもったお花をお送りいただきまして誠にありがとうございました。皆様に頂いたお花で祭壇を飾ることができ、また、訪れたたくさんの方々に献花をしていただくことができました・・・」。
久之浜海岸の写真も添えられています。
「・・・お近くにお越しの際は、どうぞお立ち寄りいただけましたら幸いに存じます」。
ほんとうにまた訪ねてみたいです。こうやって1年に1回でも、細くとも長く、福島とつながっていくことが、あの日を忘れないために私たちにできることかもしれません。
ご協力いただいたみなさま、ありがとうございました。そして、これからもよろしくお願いいたします。

朝のジョギングで横切った桜並木です。「大阪みどり100選」にも選ばれているみごとな桜並木。まだ車の通りも少なくひとりじめという感じでした。

雨が降ってきたので早々に引き返し、店へ。マネキンを着せ替えたので、雨の合間をぬって表で撮影してきました。
オーガニックコットン7分袖ボートネック 生成り ¥3500 (インド)・・・オーガニックコットンの肌さわりがやさしいシャツです
手織りキーネックワンピース コットン100% ¥9240 (ネパール)・・・ネパールのフェアトレードNGO「マハグチ」からやってきます。利益の40%は、保護を必要とする女性のシェルター兼職業訓練を行う福祉施設「アシュラム」の運営資金にあてられます。
とんぼ玉ネックレス ¥1260 (ネパール)・・・ひもの長さは調節できます。
そして、外へ出たその時に気がつきました。今年もツバメが来てくれそうです。去年の巣を物色しています。巣の中はちゃんと管理人(?)がお掃除済みですから、新しい巣を作る手間もいらず入居いただけると思います。
桜もほぼ満開、ツバメもやってきてくれた、本格春の到来を告げる一日でした。


このバナナチップスを入れてくれているのは、昨年大学卒業後ひとりでフェアトレードビジネスを起業したkapwaの丸野さんという青年です。学生時代からたびたび訪れていたフィリピンのセブ島で貧困問題に出会い、何かビジネスで貧困削減に寄与できないかと考えたそうです。
kapwaのホームページ http://www.kapwa.jp/
肥料も農薬も使わないで栽培したカルダバ種のバナナを1mm以下にスライスしてココナツオイルで揚げてあります。原材料はバナナ、砂糖、ヤシ油(ココナツオイル)だけ。おいしさの秘密は何と言ってもその薄さでしょう。パリパリとした食感は他にないおいしさです。さらに、甘すぎないことも魅力ですね。
日々のおやつに、またちょっとお礼というときのプチプレゼントにいかがでしょうか。
(セブ島バナナチップス 100g ¥230)


先日などは送る方と送られる方がいっしょに来られて「好きなもの選んで」というケースもありまし た。親しい間柄ならそれもいいですね。新居にかけるのれんとお気に入りのピアスを選ばれました。
このように春は別れの季節です。私自身、転勤族の妻でしたから、結婚以来何度も引越ししました。平均3、4年、短い時は1年という時もありました。そうなると習い性となって、3年ぐらいするとむずむずと落ち着かなくなります。引越しはいいこともあれば辛いこともありました。特に子どもたちが友人と別れるのは傍で見ていてもかわいそうでした。
でも長い(!)人生生きてきて今言えるのは、子どもたちはたくましい、そして人間はどこにでも住める、ということです。その時その時は辛いこともあるけど、それを乗り越える力もつきます。そしてあそこにもここにも友達ができると思えば、引越しも悪くないものです。
きょうは北海道でいっしょだった、そしてそのあと大阪で再会して、それからまた引っ越してしまったIさんがエスペーロを訪ねてくれました。北海道では新婚さんだった彼女が今ではもう高校生のお母さんですから年月が経つのは早いものです。そして一度別れてもまたこうして再会できるほど日本は狭く、また便利になりました。
そしてそのあとには、みごと第一志望の大学に入学を決めて4月から秋田へ行くHちゃんが来てくれました。高校1年の時からエスペーロに来てくれていて、希望大学の話も聞いていましたので、合格と聞いてとても嬉しかったです。テレビでも紹介されていた、すべて英語で授業をする、国際人を育てる、そして24時間開館している秋田杉づくりの図書館がすばらしい、県立のユニークな大学です。希望と不安がないまぜになったHちゃんは、いっぱい可能性を秘めていてまぶしかったです。
さあ、旅立ちの春、どこに住んでも元気でいればだいじょうぶ。またどこかで会いましょう。
先日福島県いわき市へ行ったときに、浪江からいわきへ避難してきているKさんにお会いしました。そしてKさんたちが「浪江ピース」 http://www.facebook.com/home.php#!/namiepeace?fref=ts というグループを作って通帳入れやエプロンを作って販売されていることも知りました。そのときに「なぜ通帳入れ?」と聞くと「津波から逃げるときに通帳も持って出られなかった。通帳入れがあれば持って逃げられたかもしれない」という答えでした。その後、通帳入れと同じようにエプロンにも物語があることを知りました。私はM.K.さんの以下の文章を読んでほんとうに心を打たれましたので、みなさんにも読んでいただきたいと思いました。
そしてきょう、注文していたエプロンが4枚届きました。どれもすてきですし、ていねいに縫ってあります。エスペーロに置いて、ご希望の方には実費(1枚2200円)でお分けいたします。
❤ エプロンのこと ❤
私はエプロンには特別な思いがあるのです。
2011年3月11日、午後2時46分、地震と津波に襲われ、着のみ着のまま、何も持たずに逃げました。その日の夜は小雪が舞いとても寒かったのです。
余震がずっと続き、何の情報もなく、3月12日午前7時、行政の指示のもと浪江町民は津島に避難しました。途中は大混雑で2~3時間を要してやっと津島の公民館に辿り着き、14日までそこに滞在しました。
... 着の身着のままで、何も持たずに避難してきた私たちに、津島のおばちゃんたちが自分たちの家からエプロンをかき集めてきてくださり、「ほれ、エプロンだよ…」、「ほれエプロンつけな」といって、私に一枚のエプロンを手渡してくださいました。
そう、働く人はエプロンをつけるのが当たり前なのです。
私はエプロンを身につけました。そのエプロンに私はどれだけ助けられたことか。
3月とはいえ山の中はことのほか寒く、一枚のエプロンが防寒の役にも立ちました。
炊き出しのおにぎりを配るのに、お盆が足りず、エプロンにくるんで配ることができました。(子どもやお年寄りを優先にしていたので、私は3日間、何も口にすることはできませんでしたが...)
エプロンはずっとお盆の役目もし、物を入れるバックにもなりました。
タオルもハンカチも持っていませんでしたから、手拭きタオルの代わりもしてくれました。
不安でおびえる子どもたち、泣きやまない子どのたちの涙をぬぐってあげるハンカチの役目もしました。
あのとき、津島で炊き出しをしてくれた人たちも、避難している女性たちも、みんながエプロンを身につけていました。
いただいたエプロンをつけていること、それが緊張しきった気持ちをちょっとだけ楽にしてくれていることに、私はどこかで気づいていました。
津島のおばちゃんたちが持ってきてくださったエプロンは、何かとってもあったかかった...。
あのときのエプロンへの記憶はあまりに鮮明です。
私にとってエプロンは特別なものなのです。
「浪江ピース」の私たちは、エプロンに対するそんな特別な思いを抱きながらエプロンをつくっています。
2013年3月 「浪江ピース」 M.K.
そしてきょう、注文していたエプロンが4枚届きました。どれもすてきですし、ていねいに縫ってあります。エスペーロに置いて、ご希望の方には実費(1枚2200円)でお分けいたします。

❤ エプロンのこと ❤
私はエプロンには特別な思いがあるのです。
2011年3月11日、午後2時46分、地震と津波に襲われ、着のみ着のまま、何も持たずに逃げました。その日の夜は小雪が舞いとても寒かったのです。
余震がずっと続き、何の情報もなく、3月12日午前7時、行政の指示のもと浪江町民は津島に避難しました。途中は大混雑で2~3時間を要してやっと津島の公民館に辿り着き、14日までそこに滞在しました。

... 着の身着のままで、何も持たずに避難してきた私たちに、津島のおばちゃんたちが自分たちの家からエプロンをかき集めてきてくださり、「ほれ、エプロンだよ…」、「ほれエプロンつけな」といって、私に一枚のエプロンを手渡してくださいました。
そう、働く人はエプロンをつけるのが当たり前なのです。
私はエプロンを身につけました。そのエプロンに私はどれだけ助けられたことか。
3月とはいえ山の中はことのほか寒く、一枚のエプロンが防寒の役にも立ちました。

炊き出しのおにぎりを配るのに、お盆が足りず、エプロンにくるんで配ることができました。(子どもやお年寄りを優先にしていたので、私は3日間、何も口にすることはできませんでしたが...)
エプロンはずっとお盆の役目もし、物を入れるバックにもなりました。
タオルもハンカチも持っていませんでしたから、手拭きタオルの代わりもしてくれました。
不安でおびえる子どもたち、泣きやまない子どのたちの涙をぬぐってあげるハンカチの役目もしました。
あのとき、津島で炊き出しをしてくれた人たちも、避難している女性たちも、みんながエプロンを身につけていました。
いただいたエプロンをつけていること、それが緊張しきった気持ちをちょっとだけ楽にしてくれていることに、私はどこかで気づいていました。

あのときのエプロンへの記憶はあまりに鮮明です。
私にとってエプロンは特別なものなのです。
「浪江ピース」の私たちは、エプロンに対するそんな特別な思いを抱きながらエプロンをつくっています。
2013年3月 「浪江ピース」 M.K.

シャプラニールは昨年から、ネパールとバングラデシュで、アーユルヴェーダせっけんを生産、販売しています。それまでさまざまな事情で貧困生活を余儀なくされていた、そして性産業で生きるしかなかった女性たちが、せっけん作りの仕事を得て、まさに人生を変えてきた物語があります。
http://www.shaplaneer.org/she/about/index.html
たとえば、写真のまんなかのドゥルガさんは、夫がインドへ行ったまま戻らず、仕送りも途絶え、農村では仕事もなく、といった状態でしたが、せっけん作りに携わるようになって現金収入が得られるようになり、自分にも自信がつきました。ドゥルガさんの活躍を聞きつけた夫がインドから戻ってきましたが、今では家庭内でもドゥルガさんのほうが発言権があるようです。
勝井さんのお話のあとは参加者でせっけん作りの体験ワークショップ。せんけん粉をローズヒップティーで色付けし、アロマオイルをたらして成型します。ハートや猫や魚などいろいろな形のせっけんができたあとは、美味しいモモ(ネパールの肉団子みたいなもの)とチャイを

シャプラニールはネパールとバングラデシュの駐在員 が帰国するたびに全国キャラバンを行って、各地で報告会を行っています。6月2日(土)にはドーンセンターで、同じ勝井さんが今度はバングラデシュの児童労働について話してくれます。シャプラニールは現地のNGOとともに、学校へ行かないでレストランなどで労働している子どもたちの救済活動も行っているのです。6月の報告会ではネパールの問題だけでなく日本での家庭から見放された子どもたちについても同時に問題提起されることになっています。
そして、5月18日(土)は、箕面文化交流センターでフェアトレードイベントを行ないます。この日はバングラデシュの駐在員であった菅原さんがバングラデシュでのせっけん作りについて報告してくださいます。せっけんプロジェクトによって女性たちの人生がどう変化したか、また先進国衣料メーカーの繊維工場として発展めざましいバングラデシュが、どういう問題をかかえているのか、今注目著しいバングラデシュのお話が聞けるでしょう。詳細はまたエスペーロのブログやシャプラニールのホームページでお知らせいたします。

ジュートとコットンをミックスして織り上げた柔らかい風合いのスカーフです。カタログの説明を読みますと、糸を10時間洗浄、天日干し、手織り、染色、浸し、絞る、乾燥、アイロンなどなど10段階もの工程を丁寧に手仕事されています。染色はベテルナッツという実を熱湯で煮て色を出すのだそうです。草木染ならではのやさしい色に癒されます。
(ジュートコットンの手織りスカーフ バングラデシュより ¥4500)

右の方はコットンのスカーフです。ブロックプリントというはんこ押しの技法で染めてあります。熟練の技術を必要とする染め方です。かわいいプリントがおしゃれなワンポイントになります。また軽いコットンなので真夏の冷房対策にも重宝しそうですね。(ブロックプリントのカラフルスカーフ バングラデシュより ¥2200)

(ざくろで染めたショルダーバッグ ネパールより ¥4900)

ジュートの収納袋は小物の整理をしたり観葉植物を入れてもおしゃれです。これも内側コーティングしてあります。ジュートは黄麻とも呼ばれ、バングラデシュの特産品。光合成が旺盛で、CO2の吸収力が普通の木の5~6倍もあるエコな植物です。
(ジュートの収納袋 2個セット ¥1200)

(素焼きキャンドル 平和の鳥、持ち運べる素焼きキャンドル バングラデシュより 各¥500)
アブドゥルさんの手彫りスプーンは自然素材にこだわった素朴なスプ

(アブドゥルさんの手彫りスプーン バングラデシュより 小 ¥400 大¥500 手編み鍋しき ¥1000)

シャプラニールのツアーでいつも行くのはいわき駅近くの交流スペース「ぶらっと」です。いわき市

はいわき市民も被災者で すが、原発避難の双葉郡の人たちも多く受け入れていて二重の被災者構造があります。今回も富岡町と双葉町の方々のお話を聞いて、補償の多寡が被災者間で微妙な行き違いやいがみ合いを生んでいて大きなストレスになっていることをあらためて感じました。たとえば富岡町から避難しているWさんはいわき市民の人から「富岡はこれまで立地地区として恩恵を受けていた。東電の補償ももらっているんでしょう」と言われるのが悔しくていまだに精神的補償金を申請していない。双葉町から避難しているSさんは「いわき市民でもないのに(税金を払っていないのに)ゴミを出して」と言われた(じっさいには行政から行政へ税金を払っている)。「避難区域から来た人たちは補償金をもらって毎日飲み歩いている」とも言われる。もちろんいわき市民の多くは善良な市民なのですが、このように同じ被災者なのにいがみあってしまう複雑な心理がおそらく日常的にあちこちであるのだろうと想像します。ですから、Wさんは初対面の人に自分が避難者であることは隠しています。


翌朝はいわき市の勿来(なこそ)で行われた「なこその希望ウォーク」に参加しました。16キロコ


歩く途中に焼香台が置かれていて、私たちは海に向かって焼香をしました。津波を想定していなかったのか、ここの堤防は私の背丈よりも低かったです。この頃から春の突風が吹いてきて、砂は舞い上がるわ風に飛ばされそうになるわで、かなり荒れた天候になりましたが、無事ゴールまでたどりついて、「なこそ復興プロジェクト」の方たちが作ってくださった暖かい豚汁をいただきました。


大阪へ帰ってみると、先日お花を送ったいわき久之浜の「千日紅の会」さんから「お花が届きました。ありがとう」のはがきが届いていました。これは当日久之浜を訪れた友人のフェイスブックから拝借した写真です。今年もきっと全国からお花が届いたことでしょう。きょうテレビの何かの番組で視聴者の意見として言っていましたが「3.11を休みにして特別な日にする」というのに私は賛成です。それほど大きなできごとだったと思うし、今後とも考えるべき課題を山ほど残しているのですから。
2日間のいわきをブログの中で文章で伝えるのはなかなかむずかしいですね。もっともっと伝えるべきことがあるような気がしますが力不足です。またエスペーロでいろいろとお話しできればと思います。

震災当日、豊間中学校はこの体育館で卒業式を行いました。PTA会長だった志賀さんは娘さんの卒業式を無事終えて工務店の仕事にもどったときに地震と津波に遭遇しました。海の色が変わり、3,4メートルの波が向かってきて必死で階段を駆け上ったそうです。波が引き始めてから写真を撮ろうと思ったけど、あの剛直な志賀さんの手が震えて定まらなかったというのですから、そのすごさが想像できます。
さいわい中学校から犠牲者は出ませんでしたが、校舎には砂や備品が散乱して手もつけられませんでした。自分自身と子ども3人の母校である痛ましい姿を見るのがつらかった志賀さんはPTA副会長さんに「豊中OBに声をかけて校舎

それからが早かったのです。連絡網で伝わるだけでなく、メール、ブログ、ツイッター、さらには「FMいわき」でも放送されて、わ ずか5日間で母校には300人もの卒業生が集まりました。5月22日のことです。みんなで再会を喜び、がれきの片付け、清掃、母校は見違えるほどきれいになりました。志賀さんはそのあとのことを次のように書いています。・・・体育館の片隅にグランドピアノが佇んでいた。蓋を開け、指を置いた。「ポロン」、音が鳴った。津波をかぶったにもかかわらず、ピアノは生きていた。誰からともなく声が上がる。「校歌うたおうよ」・・・
その津波から生き残ったピアノがいわき市の調律師さんの手によってみごとに修復され、全国をキャラバンしています。きょうは大阪難波の高島屋でライブがあるというので、去年いっしょにいわきへ行ったFさんとともに聴きに行ってきました。グランドピアノは外観も音色もきれいに修復され、ピアニストの男性は「新しいピアノと変わりない美しい音が出ます。弾いている指先へいろんな思いがびんびんと伝わってくる気がします」と話していました。
きょうのプログラムは、ピアノと津軽三味線とパーカッションというおもしろい組み合わせで、ジャズから民謡まで楽しいライブでした。三味線を弾いていた浅野さんの仙台の実家は地震で全壊しました。きょうは床柱だった黒檀で作った三味線を使われていました。もう一棹は石巻のがれきで見つけた木を使っています。パーカッションの人がたたいていたカホンの木材もまたがれきの中から生まれたそうです。
あの体育館でみんなの校歌を誘ったピアノがこうして復興大使のように全国をキャラバンしているんだなあと思うとピアノが愛おしい気がしました。いわきでまた志賀さんに会えたら「大阪でピアノに会ってきましたよ」と伝えたいと思います。
そして、明日はいよいよいわきです。