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1月22日(土)ことばと文化・社会
2011/01/22(Sat) | お店日記 | page top↑
言葉の世界へ きょうはテリーに店をお願いして、民族学博物館で行われる「みんぱくフォーラム」のスワヒリ語講座へ出かけてきた。2ヶ月半にわたって、世界のマイナーな言語を各90分で体験してみようという講座だ。すべて無料なのも魅力の講座だ。中にはサン語とかビスラマ語とかほんとうにマイナーな言語もあったが、私はスワヒリ、ネパール、タイ、日本手話、アイヌ語を選んだ。

「語学オタク」というほどでもないが、いろんな言語に興味がある。スワヒリ語、ネパール語、タイ語を選んだのは、エスペーロの商品が来ている国の言葉だから。いつかこれらの国を訪れることがあるかもしれない。たしか村上春樹だったと思うが「訪れる国の言葉は礼儀として学んでいく」と言っていたのに共感したことがある。

教室に入ると、かつて朝日カルチャーでいっしょにアラビア語を学んでいたSさんがいてお互いに再会を喜んだ。Sさんも負けず劣らず好奇心の強い人なのだ。

私たちは90分でスワヒリ語の入り口のひと足ぐらいを楽しく学んだ。言語を通して少し文化の香りも体験できたと思う。

午後からはもうひとつ楽しみにしていた講演会へ行った。箕面市国際交流協会の主催で「私の日本語の由来」と題して詩人  の金時鐘(キムシジョン)さんの講演があった。金時鐘さんは1929年生まれの82歳。つい最近詩集『失くした季節』で高見順賞を受賞したばかりだ。

皇国少年だった金さんは17歳の時に済州島で終戦を迎えた時、突然「祖国へ押し返された」と感じた。日本語で育ち日本語による風景しか体験してこなかった金少年は、朝鮮語をまったく知らなかった。植民地になるということは、土地や政治を奪われるだけでなく、文化すなわち言葉や衣食住や歌など、感性もまるごと収奪されてしまうということなのだ。
金時鐘講演会
金さんのエッセイ『クレメンタインの歌』には、かたくなに日本語を拒否し続けた父親と日本語で教育を受けて日本語体験しかない金さんとの哀しくも切ない親子の溝が描かれている。その後民主化運動によって自身の身に危険が及ぶにいたって、金さんは日本へ脱出する。その時すべてを投げ打って脱出を助け、その後も息子の安全を思って「絶対に帰ってくるな」と言ったのはそのお父さんだった。

金時鐘さんの詩は花鳥風月のやさしい詩ではない。詩は何のために書くのか。情感の中に批評がなければならないと金さんは言う。久々に気骨のある闘う人を見た気がした。

きょうは「ことばと文化・社会」というテーマでふたつの貴重な体験ができた。これも1日店番をしてくれたテリーのおかげと思って電話したら、エスペーロの方もきょうはいろいろなお客さんが来てくれて、なかなか忙しかったらしい。
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