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5月18日(水)『生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言』
2011/05/18(Wed) | お店日記 | page top↑
きょうエスペーロに入ってきた女性を見て「あ、あの人だ」と思った。先月十三のシアターセブンで映画『生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言』を見た時にエレベーターでいっしょになり「この人だれだっけ?どこかで見たことがある。エスペーロのお客さんだっけ?」と気になっていた人だった。

豊中から来てくれたAさん(名前を聞き忘れたので仮にAさんとしておく)は、やはり以前エスペーロに来てくれたお客様だった。そして確かにその日十三で同じ映画を見たと言うことだった。きょうは原発ブックレットを買いに来てくださったのだが、座ってもらってしばらく『生きてるうちが~』の話や原発の話をする。

『生きてるうちが~』はすごい映画だという点でAさんと一致したので少し紹介したい。

森崎東監督の1985年作品。バーバラ(倍賞美津子)と宮里(原田芳雄)は、沖縄のコザ騒動からパスポートも持たずに(当時沖縄はまだアメリカ政権下にあった)本土に逃れてきた。バーバラは踊り子として地方の歓楽地を回り、宮里はともに回りながら原発現場で働いた。美浜、福島第一と渡り歩く宮里のような労働者は「原発ジプシー」と呼ばれた。現場の事故で死亡した労働者はコンクリート詰めにしてヘリコプターでどこかへ運ばれる。具合の悪いことはヤクザが口封じする。こういうすごく深刻な内容が喜劇タッチで描かれるところが森崎監督の作品だ。沖縄、原発、そしてフィリピンからの「じゃぱゆきさん」も含めて、様々な差別の構造が絡み合って描かれている。

1985年にこの映画が出た頃(原発を描いたため2年間お蔵入りになってたそうだが)、私自身は原発についてどう考えていたんだろう。それとも何も考えていなかったのだろうか。この2年後にチェルノブイリの事故が起こって、子育て中だった私はたしかママ友たちと「イタリアのスパゲッティは危ないらしい」というような話をしていたことは覚えている。でもそれだけ。こんなすごい映画ができていたのに、そしてずっと原発反対の運動をしていた人はいたであろうに、まともに私の生活に入ってくることはなかった。

今回こんなに大きな原発震災が起こっても、世の中には1980年代の私と同じようにどこか他人事に思っている人が多いのではないかと思う。でも今回はこの狭い私たちの国の中で起こったことだ。これ以上の悲劇が起こらないためにも今こそだれもがしっかり生きなければいけないと思う。

シアターセブンでは要望が多いので原発関連の映画を延長して上映するそうだ。www.theater-seven.com/ それを教えてあげると「他の映画も見に行きます」と言ってAさんはエスペーロを後にした。

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