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2月13日(月)いわき訪問―1日目(2月11日)
2012/02/13(Mon) | お店日記 | page top↑
2月11日と12日に福島県いわき市を訪問しました。いつもクラフトリンクのフェアトレード商品でお世話になっているシャプラニール http://www.shaplaneer.org/ さんの「feelいわき」というプログラムです。大阪から私と友人のNさん、東京近郊から19名、合計21名のツアーでした。シャプラニールでは12月に東京へいわきの被災者をお招きしてお話を聴く「listenいわき」を開催しましたが、今回は実際に現地を訪れて「いわきを感じよう」というプログラムです。

津波の後 11日午前中は豊間、薄磯地区を海沿いに歩きました。家の土台だけが残っています。津波で壊れた防波堤の塊が200mぐらい先まで流されています。この日は、志賀さん、鈴木さんというそれぞれの地区出身の方が案内してくださいました。お聞きする当日の様子はどれも胸に迫るものでした。もちろん私たちは想像するしかないのですが。

津波の少ないところだからだれも警戒していなかった(実際防波堤は高さが1mぐらいしかない)。幼稚園も学校も海のすぐそばにあるでしょ。僕は海の方を向いて近所の人としゃべっていたから海の異変に気がついた。なんとも言えない黒茶色で蛇のように盛り上がってやってきた。中学生はみんな逃げたのに一人だけ家族を探しがれきの前でて戻った子が犠牲になった。歩けない年寄りを助けようとした人も逃げられなかったな。防災無線は聞こえなかったよ、聞こえていればねえ。2階に上がっていれば助かったんだが。あそこに2人連れがいるでしょ、あそこに家があったのよ、お母さんは亡くなった。この道を幼稚園児が逃げてこの石段の上の八幡様で夜を明かしたんだよ、寒かったべな。この後は防波堤を高くしてこの辺は緑地帯にするって。ほら、あの山を削って盛り土をしてその上に家を建てる計画らしい。僕らの土地はもう値段はないようなものだから。

テレビでは、あんな時でも日本人は助け合ってすごいと美談になってるでしょ。でも、ほんとうはどろぼうも多かったの。外からやってきてね。業者かな。車で乗り付けてエアコンやらテレビやら。僕らこの辺の者はみんな顔を知ってるから。「あんただれ?」って聞いたら「ここの親戚」って言うの。ここ僕の家なんだけどね。あんな時にどろぼうに遭うとよけい心折れそうだったね。

今はこうして話せるようになったけど2ヶ月ぐらいはだめだったな。遺体捜索もきつかったよ。200体ぐらい確認した。身体は疲れているのに夜眠れない、ご飯はのどを通らないで2ヶ月で10キロ以上痩せたな。それでも捜さねばと思ってみんながんばったよ。だんだん遺体があるところは臭いでわかるようになったよ。 
  がれ花
午後からは、少し北へ移動して久之浜へ行きました。久之浜諏訪神社の宮司さんの息子さん、高木さんが案内してくださいました。26歳の青年、高木さんは震災後「北いわき再生発展プロジェクト」を立ち上げました。まずやったことは「がれきに花を咲かせよう」通称「がれ花プロジェクト」です。取り壊される前に家にお花をペイントしてひと花咲かせてあげよう、というものです。土台の石には今もその名残がありました。高木さんは言います。「神社という仕事上、僕らはここを離れられないのです。震災後よく『神も仏もない』という言葉を耳にしました。僕らは祈ることしかできないのか、と考えた時に、地域の拠点になってみんなで地域を再生していくことを考えたいと思いました」。震災直前に婚約が成立していた高木さんですが、放射能の地域へ嫁を迎えられないということで破談になったそうです。
20120211久が浜
この日はちょうど震災後11ヶ月目にあたりました。津波で亡くなられた鈴木さんのお母さんの月命日の日でもあります。私たちは、2時46分にいわきの海へ向かってみんなで黙祷しました。こんなにきれいな海です。志賀さんが話のなかで何度も言われたのは「どんなに科学が進んでも人間は絶対に自然には勝てないです。私はそのことを今回実感しました」。

夜は私たちが泊まった民宿「鈴亀」さんで志賀さん、鈴木さん、それに何人か地元の方に入ってもらって交流会を行いました。お酒が入ると志賀さんたちはふるさと自慢です。うにと牡蠣はそれは美味いとか、高校生の頃は部活の後、満月の夜の海
で素っ裸で泳いだもんだとか、バレーボールが強かったとか、美空ひばりの『みだれ髪』は塩屋崎灯台の歌だよとか、いつまでも話はつきません。みんなで喋って笑って夜が更けていきました。
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