先日福島県いわき市へ行ったときに、浪江からいわきへ避難してきているKさんにお会いしました。そしてKさんたちが「浪江ピース」 http://www.facebook.com/home.php#!/namiepeace?fref=ts というグループを作って通帳入れやエプロンを作って販売されていることも知りました。そのときに「なぜ通帳入れ?」と聞くと「津波から逃げるときに通帳も持って出られなかった。通帳入れがあれば持って逃げられたかもしれない」という答えでした。その後、通帳入れと同じようにエプロンにも物語があることを知りました。私はM.K.さんの以下の文章を読んでほんとうに心を打たれましたので、みなさんにも読んでいただきたいと思いました。
そしてきょう、注文していたエプロンが4枚届きました。どれもすてきですし、ていねいに縫ってあります。エスペーロに置いて、ご希望の方には実費(1枚2200円)でお分けいたします。
❤ エプロンのこと ❤
私はエプロンには特別な思いがあるのです。
2011年3月11日、午後2時46分、地震と津波に襲われ、着のみ着のまま、何も持たずに逃げました。その日の夜は小雪が舞いとても寒かったのです。
余震がずっと続き、何の情報もなく、3月12日午前7時、行政の指示のもと浪江町民は津島に避難しました。途中は大混雑で2~3時間を要してやっと津島の公民館に辿り着き、14日までそこに滞在しました。
... 着の身着のままで、何も持たずに避難してきた私たちに、津島のおばちゃんたちが自分たちの家からエプロンをかき集めてきてくださり、「ほれ、エプロンだよ…」、「ほれエプロンつけな」といって、私に一枚のエプロンを手渡してくださいました。
そう、働く人はエプロンをつけるのが当たり前なのです。
私はエプロンを身につけました。そのエプロンに私はどれだけ助けられたことか。
3月とはいえ山の中はことのほか寒く、一枚のエプロンが防寒の役にも立ちました。
炊き出しのおにぎりを配るのに、お盆が足りず、エプロンにくるんで配ることができました。(子どもやお年寄りを優先にしていたので、私は3日間、何も口にすることはできませんでしたが...)
エプロンはずっとお盆の役目もし、物を入れるバックにもなりました。
タオルもハンカチも持っていませんでしたから、手拭きタオルの代わりもしてくれました。
不安でおびえる子どもたち、泣きやまない子どのたちの涙をぬぐってあげるハンカチの役目もしました。
あのとき、津島で炊き出しをしてくれた人たちも、避難している女性たちも、みんながエプロンを身につけていました。
いただいたエプロンをつけていること、それが緊張しきった気持ちをちょっとだけ楽にしてくれていることに、私はどこかで気づいていました。
津島のおばちゃんたちが持ってきてくださったエプロンは、何かとってもあったかかった...。
あのときのエプロンへの記憶はあまりに鮮明です。
私にとってエプロンは特別なものなのです。
「浪江ピース」の私たちは、エプロンに対するそんな特別な思いを抱きながらエプロンをつくっています。
2013年3月 「浪江ピース」 M.K.
そしてきょう、注文していたエプロンが4枚届きました。どれもすてきですし、ていねいに縫ってあります。エスペーロに置いて、ご希望の方には実費(1枚2200円)でお分けいたします。

❤ エプロンのこと ❤
私はエプロンには特別な思いがあるのです。
2011年3月11日、午後2時46分、地震と津波に襲われ、着のみ着のまま、何も持たずに逃げました。その日の夜は小雪が舞いとても寒かったのです。
余震がずっと続き、何の情報もなく、3月12日午前7時、行政の指示のもと浪江町民は津島に避難しました。途中は大混雑で2~3時間を要してやっと津島の公民館に辿り着き、14日までそこに滞在しました。

... 着の身着のままで、何も持たずに避難してきた私たちに、津島のおばちゃんたちが自分たちの家からエプロンをかき集めてきてくださり、「ほれ、エプロンだよ…」、「ほれエプロンつけな」といって、私に一枚のエプロンを手渡してくださいました。
そう、働く人はエプロンをつけるのが当たり前なのです。
私はエプロンを身につけました。そのエプロンに私はどれだけ助けられたことか。
3月とはいえ山の中はことのほか寒く、一枚のエプロンが防寒の役にも立ちました。

炊き出しのおにぎりを配るのに、お盆が足りず、エプロンにくるんで配ることができました。(子どもやお年寄りを優先にしていたので、私は3日間、何も口にすることはできませんでしたが...)
エプロンはずっとお盆の役目もし、物を入れるバックにもなりました。
タオルもハンカチも持っていませんでしたから、手拭きタオルの代わりもしてくれました。
不安でおびえる子どもたち、泣きやまない子どのたちの涙をぬぐってあげるハンカチの役目もしました。
あのとき、津島で炊き出しをしてくれた人たちも、避難している女性たちも、みんながエプロンを身につけていました。
いただいたエプロンをつけていること、それが緊張しきった気持ちをちょっとだけ楽にしてくれていることに、私はどこかで気づいていました。

あのときのエプロンへの記憶はあまりに鮮明です。
私にとってエプロンは特別なものなのです。
「浪江ピース」の私たちは、エプロンに対するそんな特別な思いを抱きながらエプロンをつくっています。
2013年3月 「浪江ピース」 M.K.