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3月21日(木)「浪江ピース」
2013/03/21(Thu) | 衣類 | page top↑
先日福島県いわき市へ行ったときに、浪江からいわきへ避難してきているKさんにお会いしました。そしてKさんたちが「浪江ピース」 http://www.facebook.com/home.php#!/namiepeace?fref=ts というグループを作って通帳入れやエプロンを作って販売されていることも知りました。そのときに「なぜ通帳入れ?」と聞くと「津波から逃げるときに通帳も持って出られなかった。通帳入れがあれば持って逃げられたかもしれない」という答えでした。その後、通帳入れと同じようにエプロンにも物語があることを知りました。私はM.K.さんの以下の文章を読んでほんとうに心を打たれましたので、みなさんにも読んでいただきたいと思いました。

そしてきょう、注文していたエプロンが4枚届きました。どれもすてきですし、ていねいに縫ってあります。エスペーロに置いて、ご希望の方には実費(1枚2200円)でお分けいたします。

写真: ❤「浪江ピース」カフェエプロンです。<C>中くらいの厚さの生地で多分綿100です。ポケット付き。             (2000円送料別です)
❤ エプロンのこと ❤ 
私はエプロンには特別な思いがあるのです。

2011年3月11日、午後2時46分、地震と津波に襲われ、着のみ着のまま、何も持たずに逃げました。その日の夜は小雪が舞いとても寒かったのです。
余震がずっと続き、何の情報もなく、3月12日午前7時、行政の指示のもと浪江町民は津島に避難しました。途中は大混雑で2~3時間を要してやっと津島の公民館に辿り着き、14日までそこに滞在しました。
写真:    ❤  なぜエプロンなのか? ❤私はエプロンには特別な思いがあるのです。3月11日、浪江町民は全員津島に避難するように指示されました。私は3月12日に津島に辿り着いて、14日まで津島に滞在しました。地震が起きて数分後、着のみ着のまま、まったく何も持たずに逃げてきた私たち。津島のおばちゃんたちが「ほれ、エプロンつけな」をといってエプロンを手渡してくれました。おばちゃんたちが自分たちの家からかき集めてきたエプロンを抱えて、「ほれほれエプロンだよ…」と私たちひとりひとりに分けてくれたのです。そう、働く人はエプロンはつけるのが当たり前なのです。みんなでエプロンをつけました。そのエプロンが、どれだけ私たちを助けてくれたことでしょう。あのときは3月といっても山の中はことのほか寒かったのです。一枚のエプロンが防寒の役割をしてくれました。炊き出しのおにぎりを配るのに、お盆が足りなくてエプロンにくるんで配ることができました。(子どもやお年寄りを優先にしていたので、私は3日間、何も口にすることはできませんでしたが...)エプロンはずっとお盆の役目をしていました。物を入れておくバックにもなってくれました。タオルもハンカチも持っていなかったので、手拭きタオルの代わりもしてくれました。不安でおびえる子どもたち、泣きやまない子どのたちの涙をぬぐってあげるハンカチの役目もしました。あのとき、津島で炊き出しをしてくれた人たちも避難している女性たちも、みんながエプロンをつけていました。もらったエプロンをつけていること、それが緊張しきった気持ちをちょっとだけ楽にしてくれていることにどこかで気づいていました。津島のおばちゃんたちが持ってきてくれたエプロンは何かとってもあったかかった...。あのときのエプロンへの記憶はあまりに鮮明です。私にとってエプロンは特別なものなのです。「浪江ピース」の私たちはそんな気持ちでエプロンを作っています。
... 着の身着のままで、何も持たずに避難してきた私たちに、津島のおばちゃんたちが自分たちの家からエプロンをかき集めてきてくださり、「ほれ、エプロンだよ…」、「ほれエプロンつけな」といって、私に一枚のエプロンを手渡してくださいました。
そう、働く人はエプロンをつけるのが当たり前なのです。

私はエプロンを身につけました。そのエプロンに私はどれだけ助けられたことか。
3月とはいえ山の中はことのほか寒く、一枚のエプロンが防寒の役にも立ちました。写真: ❤先ほどご紹介したエプロン(淡いグリーン、オレンジの縞がら)は売約済みとなりました。ありがとうございます!❤この<紫縞がらカフェエプロン(浪江ピースブランド)>は在庫があります。ポケットが一つ、薄手の綿、2000円です。この「浪江ピース」のメッセージ欄からお申込みを受けております。よろしく~♪
炊き出しのおにぎりを配るのに、お盆が足りず、エプロンにくるんで配ることができました。(子どもやお年寄りを優先にしていたので、私は3日間、何も口にすることはできませんでしたが...)
エプロンはずっとお盆の役目もし、物を入れるバックにもなりました。
タオルもハンカチも持っていませんでしたから、手拭きタオルの代わりもしてくれました。
不安でおびえる子どもたち、泣きやまない子どのたちの涙をぬぐってあげるハンカチの役目もしました。

あのとき、津島で炊き出しをしてくれた人たちも、避難している女性たちも、みんながエプロンを身につけていました。
いただいたエプロンをつけていること、それが緊張しきった気持ちをちょっとだけ楽にしてくれていることに、私はどこかで気づいていました。
写真津島のおばちゃんたちが持ってきてくださったエプロンは、何かとってもあったかかった...。
あのときのエプロンへの記憶はあまりに鮮明です。
私にとってエプロンは特別なものなのです。
「浪江ピース」の私たちは、エプロンに対するそんな特別な思いを抱きながらエプロンをつくっています。

2013年3月 「浪江ピース」          M.K.


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