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6月29日(土)みのおピースフェスタ2013
2013/06/29(Sat) | お店日記 | page top↑
ピースフェスタチラシ
エスペーロも実行委員として準備してきたみのおピースフェスタ2013がきょう無事に終わりました。

お迎えした講師は元沖縄県知事の大田昌秀さん。 88歳というので実行委員会は体調などを心配しましたが、それがまったくの取り越し苦労だとわかりました。かくしゃくとして頭脳明晰、次々と興味深いお話をしてくださいました。

10代終わりから兵士として参戦した太田さんは、沖縄の戦中戦後を身をもって体験、その後も研究者として政治家として活躍された、いわば沖縄の生き字引です。

アメリカでの研究も長かった大田さんはアメリカが所蔵する沖縄戦の資料収集にも努めました。折りしも、一昨日「1フィート運動」の事務局を務めた中村文子さんが99歳で亡くなられたばかりでした。「広島長崎の記録フィルムを市民が10フィートずつ買った10フィート運動というのがあったけど、沖縄は貧しいから1フィートにしたんです」。「中村さんは70歳を過ぎてから平和運動を始めたんですよ」とも。

侍、戦闘の文化である本土に対して沖縄は非戦の文化。沖縄には争わない文化がある。琉球王国であった沖縄には「天皇の赤子」という認識はなかった。沖縄は日本の捨石となった。沖縄戦は軍隊が市民を守らないことを証明した。米軍ではなく日本軍に殺された沖縄の人たちも少なくない。沖縄は 戦後も米軍基地の75%を引き受けさせられている。国会議員のほとんどが沖縄のことを親身になって考えないから多数決の民主主義ではいつも切り捨てられることになる。 沖縄は果たして日本に復帰すべきだったのだろうか。沖縄独立論は今も根強く沖縄の人々の中に存在している。

戦後、大田さんは2年ぐらい人間不信に陥り生きる気力をなくしました。そんな大田さんに力を与えたのが 「日本国憲法」だったそうです。とくに二度と戦争をしないと誓った9条を鉛筆で書き写しながら「手がふるえた」ことを今も鮮明に覚えていると言われていました。

「沖縄平和研究所には外国の学生さんたちがよく来ます。沖縄の研究をしている。なぜ沖縄の研究をするの?と聞くと、沖縄と同じ状況は世界中にあると言うのです」。

「沖縄は女の人が強いの。もはや間接民主主義ではだめ、直接民主主義に訴えないとというので、オスプレイが飛ぶ空に風船やら凧やら飛ばして妨害するんです」。

最後に大田さんは長崎で平和を訴えながら原爆症で亡くなった永井隆医師の「いとし子よ」を朗読してくださいました。

・・・日本をめぐる国際情勢次第では、日本人の中から、憲法を改めて戦争放棄の条項を削れ、と叫ぶ者が出ないともかぎらない。そしてその叫びが、いかにももっともらしい理屈をつけて、世論を日本再武装に引きつけるかもしれない。そのときこそ、・・・・・・誠一よ、カヤノよ、たとい最後の二人となっても、どんなののしりや暴力を受けても、きっぱりと「戦争絶対反対」を叫び続け、叫び通しておくれ!たとい卑怯者とさげすまれ、裏切り者とたたかれても「戦争絶対反対」の叫びを守っておくれ!・・・

これはまさに今の時代のことを言っているのではないでしょうか。永井博士は今から60数年も前に今の時代を予測していたということになります。

大田昌秀さんは会場いっぱいの参加者に大きな感動を残して、次の講演地である奈良へと移動して行かれました。これからもお元気でずっと沖縄を語り続けていただきたいと願っています。

なお、きょうの講演内容はiwj(independent web journal)さんが記録してくださっていますので、近日中にアップされると思います。どうぞごらんください。
http://www.ustream.tv/channel/iwj-osaka1
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