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5月30日(金)トゥマングンの思い出 memory of Temanggung
2014/05/31(Sat) | お店日記 | page top↑
MT Sumbin 5月22日から25日までの4日間、私たちはインドネシア、ジョグジャカルタの田舎トゥマングンでホームステ イをしながら「田舎で仕事をしながら暮らすこと」についてディスカッションしながら共に学びました。

私たちというのは、主催のプレス・オールタナティブの片岡さんと奥谷さん、インドネシアで働き始めて半年になる市位青年、フローレス島のカカオプロジェクトの若き社長ヤコブ青年、ミャンマーでいまだ戦乱の中にあるカチン族からサンニーさん。日本からは、岩手県宮古市で震災後からニットワークプロジェクトを続けている「愛編む宮古」の盛合さんと山崎さん、義父が所有する房総の水仙フィールドをツーリズムにつなげられないかと思考中の常名さん、箱根の空き家を再生したり森や畑でおもしろ企画をしている高見さん、実家の茶畑事業をもっと魅力的にしたい、所有する広大な山林を再生したいと思っている望月さん、そして、今のフェアトレード事業をもっと広い観点から見直してみたいと思っているエスペーロの私、大阪大学インドネシア語学科を卒業し、これからどういう道を進もうかと模索している近藤さんは、心強い通訳としても活躍してくれました。このようにいずれもこれから何かを始めたい、あるいは始めているけれども今後を模索しているというメンバーばかりでした。
シンギさん
インドネシアのメンバーは、シンギーさんを中心とする”back to the village"(今こそ村へ帰ろう)プロジェクトの若い人たちです。シン ギーさんは建築家でありインダストリアルデザイナー。美人の奥さんと2人の娘さ木製のラジオんを持つパパです。とても哲学的な雰囲気がある人でいつも何かを考えているように見えます。故郷の村のrevitalization(復活再生)をめざしています。しかしそれは村が都市化することでは決してなくて、村の美 しさと良さを見直して村に仕事を作っていこうということなのです。彼はマグノという工房を持っていて、そこでは20人ぐらいのスタッフが竹の自転車や木製のラジオや木製のステイショナリーを作っています。

スペダギで出発 ボディーのフレームの部分が竹でできたスペダギは、美しく丈夫です。シンギーさんは毎朝これに乗って村をまわります(インドネシア語でスペダは自転車、パギは朝です。つまりスペダギは朝の自転車という造語)。そこで見つかった問題を解決するのが目的です。

たとえばオマ・タニ(農夫の家という意味)も、コーヒーの木が茂るオマ・カリンガンも、宅地に売られそうになっていたところを所有者と交渉して農地として残すことができました。オマ・タニの田んぼはこれまで農薬を使っていた土地ですが、今は有機農法に変えていくところです。「土を変えるのに3年かかるといいますね」と言うと、シンギーさんは「いや、もっとかかるかもしれないが、やらなければいけない」と言いました。
ドゥイさんと子どもたち
農業に関してシンギーさんにはドゥイさんという心強い仲間がいます。ドゥイさんは2年間日本のOISCAで有機農法の勉強をしましたから日本語も上手です。この日はドゥイさんは小学5年生を引率してオマ・タニで農業の授業に来ていました。ホームステイ

私たちの泊まった家はリサイクルウッドと竹でできています。シンギーさんを中心とした仲間たちが作ったも のです。竹はどんどん成長しますから切って有効利用します。また竹林は涼しく美しい。竹林の中の道はこれまたみんなで石を埋めて作った石畳になっていました。シンギーさんは子どもたちが美しい通学路を通ってほしい、それがよい思い出になっユディさんてほしいと言っていました。

  ホームステイの土地はユディさんの敷地でした。ユディさんはとても多才な人で、メイクアップ・アーティストであり、フラワー・デザイナーであり、またお料理もとても上手なのです。彼が作ってくれるユディさんの料理お料理は味がおいしいだけでなくいつもお花が飾られていて美しかったのです。シンギーさんは「これがユディ・スタイル」と言っていました。2日目の晩には「ユディさんが結婚式の会場を花で飾っているから見に行こう」とヒルダさんが誘ってくれてみんなで見に行きました。1000人もの人が来るというインドネシアの結婚式会場はユディさ んのセンスで美しく飾り付けられていました。
ホームステイの朝 
朝食の前に、私たちは朝の散歩に出かけます。ほんとうに気持ちの良い一日の始まりでした。田んぼの中を歩いていくと鳥追いのおばさんがいて、ひもにぶらさげてある缶をからから鳴らして鳥を追っていましたので、私たちも やらせてもらいました。そうしたらYさんが強くひっぱりすぎてひもがプツン!私たちは大笑い、おばさんも「ティダッ・アパ・アパ(ノープロブレム)」と大笑い。
omah tani
昼はオマ・タニで会議です。片岡さん、奥谷さん、シンギーさん、サンニーさん、市位さんに続いて、日本から来た私たちも自分たちの 活動を紹介したり課題をシェアしたりしました。日本語と英語とインドネシア語が昼ミーティングちゃんぽんで飛び交ったのがおもしろかったです。どれも完璧ではなくても、ゆっくり目を見て話せば通じるものです。言葉よりも語る内容の方が濃いのです。インドネシア側は、アユちゃん、ププッちゃん、エリックさん、ヒルダさん、ニコさん、ドゥイさん、それに警察官のトゥリさんもいました。トゥリさんは3月に竹林で行われたスペダギの国際会議を警備した折に、この活動に深く共感して活動に参加するようになったそうです。インドネ シアの警官というと、バリに住んでいた私も「横柄ですぐに賄賂をせびる」という悪いイメージがあったのですが、トゥリさんは全く違いました。片岡さんも「何がびっくりしたと言ってトゥリさんのような警官がいることだ」と言っておられました(笑)。

最後の日はワークショップの日。お好み焼きとインドネシア料理の交流グループ、ソーラーパネルでフローレスのカカオを加工するグループ、クラフトのグループ、そして私は「愛編む宮古」のふたりといっしょに「ニットとバティックのコラボ」というワークショップに参加しました。バリに4年間住んでいながら、バティックに挑戦するのは初めてのことでした。ユニ先生に教えてもらいながらかなり没頭して楽しい時間でした。宮古のニットをバティック布に縫い付けてタペストリーにする試みもやってみました。
クンクン
まだまだ書きたいことはあるのですが、あまりに長くなってしまいました。でもあとひとつだけクンクンという少年の話をして終わりにし  ます。クンクンはほんとうはロフィクン君なのですが言いにくいので私たちはクンクンと呼びました。クンクンは14歳の中学2年生です。お母さんがマグノで働いている関係で日頃からスペダギ自転車づくりを手伝っています。クンクンの家は母子家庭で貧しく、他の生徒が自転車やバイクで学校へ行くところを、彼は毎日往復10キロを歩いて通っています。プレス・オールタナティブの片岡さんは、この日シンギーさんと相談して、クンクンに投資することを決めました。このお金を元に、クンクンはシンギーさんに習って本格的に自転車づくりの技術を身に付け、作った自転車を売って利益の何割かを片岡さんに払っていく。利益が出るようになれば自分の自転車も持てるし高校へも行ける、というわけです。クンクンはみんなの前で「仕事ができることが嬉しい。がんばってやりたい」としっかりと挨拶しました。こうやってスモールビジネスがひとつ生まれました。

とても刺激的で濃い4日間でした。ここで会った人たちとはこれからもつながっていけそうな気がしています。きょう書ききれなかったことはまた追々と。長い日記を最後まで読んでくださった方、ありがとうございました。
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